北陸新幹線開業で浮き彫りになる新潟の苦悩 連携構築しづらい「大きな1人っ子」

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新潟日報の記事は、新幹線をめぐる政治の場での駆け引きが、やがて想定外の事態をもたらし、多くの人々が翻弄されていく姿を淡々と描いている。同時に、北陸新幹線の最速列車「かがやき」の上越妙高駅停車に、なぜ新潟県がこだわらざるを得ないか、背景を分かりやすく伝えている。

「我田引水」をもじった「我田引鉄」の語が残るように、鉄道の歴史は「政治の歴史」でもある。中でも、新幹線は「沿線に繁栄をもたらす象徴的存在」として、無数の対立や取引のテーマそのものとなり、あるいは他の政治的テーマの取引材料ともなってきた。政党・政治家と有権者、官僚、経済界、さらには政治家同士と、幾通りもの組み合わせで、また、国から市町村まで幾重ものスケールで、数え切れない嘆願と議論が繰り返されてきた。

「整備新幹線」をめぐっては、政治や政局と着工の可否が頻繁に関連づけられたことから、いつしか「政治新幹線」という表現が、政治家やマスメディアだけでなく住民の間にも定着した。

連携構築しづらい「大きな1人っ子」

しかも、「政治新幹線」の意味するところはひと通りではない。着工に反対する人々が、「政治的判断」による構想の推進自体を批判する言葉としての「政治新幹線」。政党や政治家が新幹線早期着工のため、自らへの支持を訴える姿に対し、相いれない立場の人々が反発して口にする「政治新幹線」。

さらには、全国各地の新幹線建設予定地域が、着工順位や予算の配分額に満足できない場面で、「他の建設予定地が不当な政治力を行使した」と批判する言葉としての「政治新幹線」――。1970年代から90年代にかけて、整備新幹線の着工が長期にわたって保留されたのは。財源問題が最大の理由だ。しかし、沿線住民が「地元政治家の政治力の不足が最大の原因」とみなしていた地域も存在した。

結果的に、整備新幹線構想そのものが強い「政治色」を帯びた存在とみなされ、そのことが、当初の使命とされた「国土の均衡ある発展」を実現する知恵や工夫の結集を妨げた面があるのではないか。意外なほど少ない整備新幹線の研究事例をめぐり、何人もの研究者と意見交換した末に、筆者が抱いた仮説の一つである。

新潟市や新潟県は、30年余にわたる上越新幹線の恩恵を、まだ総括しきれずにいるように見える。上越新幹線と異なり、大きな代償と引き替えに開業した北陸新幹線を、どう有意義に活用するか。北陸3県や北海道新幹線の青函圏に比べると、他県との連携を構築しづらい「大きすぎる1人っ子」にも見える。山形県などとの協力、終着駅としての存在感といった視点も含め、議論の枠組みそのものを再構築する余地があるのではないか。

櫛引 素夫 青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

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くしびき もとお / Motoo Kushibiki

1962年青森市生まれ。東奥日報記者を経て2013年より現職。東北大学大学院理学研究科、弘前大学大学院地域社会研究科修了。整備新幹線をテーマに研究活動を行う。

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