ノーベル賞学者を支えた「浜ホト」の技術力 超微弱な光を検出する光電子増倍管とは?
求められたのは、3000トンの純水をたくわえた容器に、直径20インチ(約50センチ)の光電子増倍管を1050本取り付けるというもの。当時8インチ径の試作に取りかかったばかりの同社には、まさに桁違いの要求だった。それでも関連の従業員が総動員で開発に当たり、1983年の観測開始にこぎ着ける。そして87年、人類初のニュートリノの観測成功という偉業を導いたのだった。
「われわれの仕事は新しいプロジェクトに応じて、短期決戦で機器を開発して納入するところまで。それだけでも達成感はあるが、さらに実験が始まって、成果が出て、ノーベル賞が出る。節目節目にまた達成感があるのがやりがい」と、初期プロジェクトからかかわり続ける袴田さん。
ただ、感慨に浸れるのは一瞬だ。
光増倍管の数は1万1200本に増加
次期カミオカンデ計画、つまりスーパーカミオカンデの準備が始まったのはニュートリノ観測成功の1年前から。タンクの純水は5万トン、光増倍管の数は実に1万1200本もの規模に増した。
光電子増倍管は、目には感じない波長や超微弱な光を検出する超高感度光センサーだ。
ガラスの光電面で受け止めた光から光電子を取り出し、ダイノードと呼ばれる電極の集まりに高い電圧をかけ、光電子を100万倍から1000万倍にも増倍させる。
ニュートリノが水中の電子と衝突したときに発するごくわずかな光(チェレンコフ光)を捉え、さらにその性質をよく観測するには、ダイノードの面積や位置関係を見直し、ノイズを徹底的に減らすなどの工夫が必要だ。
同社は3つの特許を含む設計で従来型を改良、専用の工場を建設して1万本余りの新型を完成させた。それらを取り付けたスーパーカミオカンデで96年から始まった観測では、戸塚さんや梶田さんが中心メンバーに据わる。2年間の観測結果を踏まえてニュートリノが質量を持つことを確認、物理学の標準理論を書き換える世紀の発見として今回のノーベル賞に結びついたのだった。
だが、2001年にアクシデントは起こる。梶田さんが会見で「最も大きな挫折」として挙げた、光電子増倍管の大量破損事故だ。
研究所から「装置がおかしくなった」と連絡を受け、駆け付けた袴田さんもその衝撃の光景をまざまざと思い出す。「ふたを開けたら水の上に白いものが浮いている。何が起こったのか、まったく分からなかった」。あれだけ苦労して造った増倍管の半数以上、約6000本が割れていた。
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