「脳死マシーン」「臓器摘出バス」…中国の“臓器移植”の実態。中国で死刑囚の“まだ生きている遺体”から臓器移植した医師の後悔も
「銃声が聞こえたら丘の向こうに回り込め」
しばらくすると銃声が聞こえた。一斉射撃のようで、何発もの銃声が響き渡った。再び主任外科医の車の後について走った。
車が止まった場所には、射殺されたばかりの遺体が転がっていた。10体なのか20体なのか、それを数えている余裕はトフティにはなかった。武装警官が声を上げた。
「こいつだ」
30歳ぐらいの男で、他の囚人はすべて坊主頭だったが、彼だけは長髪だった。外科医であるトフティは、もう1点、その男に他の囚人とは異なるところがあることに気づいた。「その男だけは、右胸を撃ち抜かれていた」
「手術しろ」主任外科医が命じた。
「何の手術をするんですか。すでに死んでいるのに……」
だが、男は死んではいなかった。
主任外科医は再度、命令した。
「肝臓と腎臓を摘出せよ」
指示は「その男から」というものだった。男はすぐに救急車に運び込まれた。
「麻酔は不要。生命維持装置も不要」主任外科医の声が響いた。「意識はない。メスを入れても反応はしない」
麻酔科医は何もしようとしなかった。
トフティが男の体にメスを入れた。男の体が大きくのけぞった。命令されるままにトフティは肝臓と腎臓を摘出した。
その後、それでも男の心臓はまだ動き、脈打っていた。トフティに残された仕事は、遺族のために開腹部の縫合を丁寧にすることだけだった。
翌日、主任外科医が「昨日はいつも通りの日だったよな?」とトフティに語りかけてきた。主任は臓器摘出を口外しないように釘を刺してきたのだ。「はい」とトフティは答えるしかなかった。
のちにトフティはイギリスに亡命する。が、まだ生存していた死刑囚から臓器を取り出した事実を語るのには、15年という歳月が必要だった。
トフティが亡命したのは、この摘出手術が理由ではない。新疆ウイグル自治区は中国の実験場ともいわれ、核実験なども度々行われた。その周辺地区でがん患者が多発している事実を西側に流したことで、身の危険を感じたからだ。
「西側の価値観を知り、事実を明かさなければいけないと考えるようになりました」
謝礼二千数百万円が関係各方面に飛び交う
1990年代の中国の移植医療は、臨床経験を積み重ねる段階で、こうした強引な方法を繰り返しながら進歩を遂げてきた。中国の移植医療レベルは、アメリカや日本とほぼ同じ水準を維持していると思われる。
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