謝罪に追い込まれた石橋貴明 頑なに貫いた「悪ノリ芸風」がハラスメント認定に至った背景

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2017年の「保毛尾田保毛男」騒動は、彼らの芸風がいかに時代とかけ離れているかを象徴する事件だった。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の30周年記念特番で、石橋が過去の人気キャラクターだった「保毛尾田保毛男」を久々に演じたところ、そのキャラ造形がゲイに対する差別と偏見に満ちているとして猛批判を浴びた。

番組スタッフや本人たちは軽い気持ちで往年の人気キャラを復活させて話題作りをしようとしたのかもしれないが、今の時代にそれがどう受け取られるのかという視点が欠けていた。これもまた、かつての「怖いもの知らずの素人芸」が今では「社会に対する無理解」として映る一例である。

今のテレビで活躍する芸人は、時代の空気を読んで、その枠の中でできる限り面白いことをやろうとしている。一方、石橋はそういう時代の風を読もうとはせず、むしろ逆風にあえて立ち向かうことで、変わらない自分たちのスタイルを示そうとしてきた。だが、その頑固な姿勢がどんどん彼自身を追い込んでいくことになった。

権威を揶揄していた自らが権威の一部に

とんねるずの2人は、テレビが絶対的な権威である時代に、その権威を揶揄しながらのし上がり、自らが徐々に権威の一部になっていった。しかし、テレビそのものの権威性が薄れて、視聴者がより身近な存在として芸人やタレントを求めるようになったとき、玉座でふんぞり返る笑いはただの時代錯誤になってしまった。

石橋の笑いが時代遅れになったのは、彼の芸が古くなったからではない。社会の側が変化し、価値観がシフトした結果、変わらなかった彼だけが取り残されたのである。

石橋に再起の可能性があるとすれば、「パワハラ・セクハラ的な笑い」以外の部分を積極的に打ち出していくしかない。今の時代にチューニングされた新しい姿で復活する日を楽しみにしている。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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