盗難から12年半、韓国から返還が決まった後も続くドタバタ劇 あの「対馬の仏像」がたどった"思いもよらない運命"

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浮石寺は控訴審判決を不服として上告したが、同年10月26日、韓国の最高裁は浮石寺の上告を棄却した。浮石寺の所有だとは認められなかった。

浮石寺が倭寇に略奪された有力な証拠としたのは、「観世音菩薩坐像」の腹蔵物(仏像の中に入っているもの)に「高麗国瑞州浮石寺」「天歴三年(1330年頃)」と記された文書があった点だ。

海岸に近い瑞山市一帯にはかつて倭寇が侵入したという軍誌が残っており、また、友好的に日本に譲り渡したものであれば腹蔵物を取り除く慣例があるが、腹蔵物の文書は対馬で発見されたこと、そして観音寺を建立し、仏像を奉った人物が倭寇の家門であるという記述が日本の研究者の書物にあることなどを挙げていた。

しかし、高裁でも最高裁でも、現在の浮石寺がかつて瑞州にあった浮石寺と同じ寺であるかが不明であることと取得時効が成立していることを理由に、原告の浮石寺は敗訴した。

いずれにしても、「観世音菩薩坐像」が日本に渡った経緯について、日本側にも韓国側にもつまびらかにできる確かな史料など残っていない。このような状況で、そもそも窃盗事件だったものが文化財返還問題にすり替わってしまい、事態が膠着してしまった。

後を経たない朝鮮半島由来の品の盗難

日本には、朝鮮半島由来の仏像・仏画などが多い。日本に渡った経緯は不明だが、とくに高麗時代に製作されたものは韓国に残っているものが少なく、希少品とされる。そのため、文化財専門の窃盗犯には垂涎の的だ。

2002年に兵庫県の鶴林寺から盗まれたのも、高麗仏画である「阿弥陀三尊像」だった。この窃盗犯は韓国で逮捕されたが、仏画は転売を繰り返された後、行方は今もわかっていない。1994年に壱岐島の安国寺から盗まれた高麗経典は現在、韓国人経営者が所有しており、韓国の国の文化財に指定されている。

対馬で起きた文化財窃盗犯の動機は、「大きいヤマをやって後はラクに暮らそう」だった(公判記録による)。多久頭魂神社から盗まれた経典は犯人が途中で破棄したと証言したが、韓国の古美術商の間では「大事な文化財を捨てるわけがない。どこかで売買されたに違いない」とささやかれている。

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