盗難から12年半、韓国から返還が決まった後も続くドタバタ劇 あの「対馬の仏像」がたどった"思いもよらない運命"
浮石寺での100日間の法要が終わるのは5月5日。5月11日までが貸与期間とされている。
対馬への返還手続きが行われたのは、今年の1月24日だった。仏像を保管していた韓国国立文化遺産研究院での貸与の式典には、浮石寺の関係者や信徒が集まり、返還に尽力した韓国保守系のチュ・ホヨン韓日議員連盟会長もあいさつに立った。対馬からは観音寺の田中節孝前住職や対馬市教育委員会文化財課の田中淳也課長が訪韓し、立ち会った。
田中前住職は「多くの方のおかげでこの日を迎えた。思いもよらず生まれた信頼関係を大切にしたい」と語った。だが、返還までの道のりは、それこそ思いもよらない道をたどってきた。
盗難から発見に至るまでの経緯
「観世音菩薩坐像」が対馬の観音寺から盗まれたのは、今から12年半前の2012年10月8日だった。海神神社では「銅造如来立像」が、そして多久頭魂神社でも経典(大蔵経)が盗難に遭った。
いずれも朝鮮半島由来で、「観世音菩薩坐像」と経典は高麗時代、「銅造如来立像」は新羅時代に製作されたといわれる。「観世音菩薩坐像」と経典は長崎県、「銅造如来立像」は国指定の文化財だ。
盗難から2カ月後の2012年12月に韓国で売買の動きが察知され、翌2013年1月には8人の窃盗団のうち7人が逮捕された(のちに最後の1人も逮捕されている)。窃盗団は実行役、運搬役、売買人などに役割分担されており、運搬役の古美術商は「レプリカ」と偽って釜山港の税関を通過していた。
仏像2体は無事、売買寸前で回収された。ソウルにある骨董品街、仁寺洞(インサドン)の業者は、出回っていた仏像の写真を見て、「出物が出た」と仏像が保管してあった韓国南部の昌原(チャンウォン)まで買い付けに出向いた。
仏像は水産市場の倉庫に保管されていた。しかし、価格が折り合わず、交渉は成立に至らなかった。そのときの交渉価格は現金で10億〜12億ウォン(約1億〜1億2000万円)。業者は8億ウォン(約8000万円)なら購入していたと、のちに語っている。
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