「触れてはいけない存在」昭和天皇崩御が露わにした日本社会の構造
天皇について言えば、かろうじて存在していた高度成長期の中間層は、私の印象としては、濃淡はあれ基本的にはアンチ天皇制だったと思います。もちろん逆の主張をする人たちも一部にはいましたが。他方、一般大衆はやはりよく見えなかった。
その後、石油ショックからバブル期に入って、中間層と大衆の境界がはっきりしなくなるにつれて、人々は天皇のことをそもそも考えなくなった気がします。天皇の国事行為はもちろんあって、外交に関わる活動もありましたが、見慣れたいつもの風景というか、誰もとくに気に留めるふうはなくて、70年代半ば以降、天皇の存在感は薄れていったのではないかと思います。
ところが、89年の崩御の際、天皇の身体というものが俄然浮かび上がってきた。そうなってみると、依然として天皇がある種のタブーとして存在していることに気づかされた。それが代替わりのときの私の経験です。タブーというのは、簡単にいうと、触れてはいけない存在ということですね。
たとえば、道を歩いていて向こうから大谷翔平がやって来たとする。そうすると、私たちは握手を求めますよね。求めないか(笑)。少なくとも求める人はいるはずです。私も本を出すとサイン会をやったりしますが、なぜだか知らないけど「握手してください」という人がときどきいます。相手が芸能人でも総理大臣でも握手を求めることはできると思いますが、天皇と握手はしにくい。「握手してください」とは言いにくい。そう言える人もなかにはいるのかな。外国人なら平気なのかもしれませんね。
しかしとにかく天皇は触ってはいけない存在だという感覚は、日本国民にはなんとなくある。とくに霊威を感じているわけではないが、神社などの宗教的な施設で「ここから先は神域だから絶対に不可侵ですよ」と言われると、禁を破りにくいということがありますが、これと同じような意味で、一種の不可侵性を依然として昭和天皇は持ち続けていたと思います。
歴代天皇で初めてだった手術
原 今のお話を聞いていて一つ思い出したことがあります。私は1987(昭和62)年に日本経済新聞社に入りました。その前は国立国会図書館に勤めていたのですが転職をしまして、東京の社会部に配属されました。この年の9月、天皇は戦後唯一訪れていなかった沖縄県に行くはずだったのですが、その矢先にガンが見つかったのです。もちろんそうは公表されず、「慢性膵炎」と発表されましたが、沖縄行幸は中止になり、すぐ手術だというわけで、玉体にメスを入れることになった。手術すること自体が歴代天皇で初めてで、まさにタブーを破ったわけです。