「中学1年生のころは私のほうが少し成績はよかったのですが、その時期に『私より成績が悪いね』って言ったら、妹の闘争心に火がついてしまったようで、中学2年生で逆転されました。それからは勝てなくなって、『妹のほうが勉強の才能がある』と素直に負けを認めるようになりました」
妹への感情を自分の中でも整理した彼女は、高校2年生の後半ごろに志望校を京都大学農学部に設定します。
「もともと、大学に行こうとはそんなに思っていなかったのですが、そこそこの進学校に通っていたので、みんな大学受験するものなんだと刷り込まれました。
最初は一人暮らしをしたかったので北海道大学や信州大学がいいなと思っていたのですが、うちの学校は難関大学を志望すると個別に先生方が答案の添削をしてくれる仕組みがあったので、一度、学校の行事でキャンパスを見学して魅力を感じた京都大学にしました。漠然と自然が好きだったので、受ける学部を絞っていったら農学部になった感じです」
高校2年生のときに学校で受けた模試での偏差値は70を超えており、最高学年になってから受けた京大の冠模試でもB判定が出ていたトコトコさん。
学力的には京都大学に合格してもまったくおかしくありません。しかし、彼女自身は到底合格すると思うことができず、受験を意識し始めた高2の冬ごろから受験本番まで、ずっと精神的に不安定だったそうです。
その理由は「周囲の人が自分より頭がよさそうに見えるから」でした。
「絶対に自分は落ちる」という謎の洗脳
「私の学校は高校3年生の秋にすべてのカリキュラムが終わる学校だったので、高校2年生で全カリキュラムを終了させる中高一貫校の人たちに対して、大きな劣等感を抱いていました。そこに浪人生も加わると思うと余計に落ち込み、焦りました。
今思えば、当時でも中高一貫校の人たちに負けないくらいの学力はあったのですが、『絶対に自分は落ちる』という謎の洗脳を自分自身にかけていましたね。センター試験もこけて、河合塾のセンターリサーチはC判定。合格発表のときも受かる気がまったくせず、番号がないのを確認して、『あ〜そうだよね』と当然のこととして捉えました」
結局、現役時の京大受験は合格最低点から100点以上離れた不合格。彼女は、「こんな精神状態で受験してもうまくいくはずがなかった」と当時を振り返ります。一方で、双子の妹は現役で東京大学理科2類に合格しました。
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