「どちらを選択すべきか」決めるときに考えたいのは、「ご縁」を感じるかどうか。“経済的な物差し”で選び過ぎないこと
私は僧侶という立場から、お檀家さんや知人などからいろいろな相談を受けます。他愛ない相談もあれば、ときには人生を左右する重い選択を相談されることもあります。
私は相談を受けたときには、聞く側に徹することにしています。よく話を聞いているうちに、その方の悩みごとの本質が見えてくるからです。そしてたいていの場合、その方の選択はすでに決まっていて、私に背中を押してほしいだけなのだと感じます。
私の答えは決まっています。
「ご縁を感じるほうをお選びください。そうすれば、たとえ失敗したとしても後悔しませんよ」
ものごとは思い描いたとおりに進むことはまずありません。それが世の常だと思います。それなのに、自分の損得を選択基準にするから「損をしてしまった」「くやしい」と後悔します。
それを聞いて多くの方はハッとわれに返ります。「そうか、自分主体で考えるから思い悩むのか」と思い直し、帰路についてくれます。
“経済的な物差し”で選び過ぎない
たとえば、同時に2つの仕事が舞い込んだとき、自分のキャパシティでは両方とも受けられないならば、どちらかを選ぶことになるでしょう。そんなとき、金銭的な条件、仕事のラクさ加減などの損得勘定、つまり“経済的な物差し”で選びがちです。
もちろん、仕事ですから利益を上げることは大切です。しかし、利益にばかり縛られて割のいいほうを選んでも、それが正解とは限りません。いざやってみると、トラブルが多かったり、思わぬところで手間がかかったりして、結果的に割に合わない仕事になることもあります。
そこで「縁」の登場です。
縁とは「人と人とのめぐり合わせや結びつき」を意味し、そもそも仏教に由来する言葉です。仏教でいう縁とは、すべてものごとが互いに関わりあって存在していることをいいます。あらゆる存在は、無限の過去から関連し合いながら現在に至っているのです。
ようするに、長年おつき合いのある方の仕事と、初めてお目にかかる方の仕事とだったら、おつき合いのある方との仕事を選ぶ。あるいは知人からの紹介だから、ちょっと無理をしてでも引き受けるということもあるでしょう。縁とは、まさに“人間的な物差し”なのです。
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