海外記者が考える「伊藤詩織映画」争点の落とし所 プロデューサーが日本向けに修正を約束した中身とは?

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民事裁判は繰り返し、彼女が性暴力被害を受けたことを認めた。しかし、警察は加害者を逮捕しようとせず、検察は起訴しようとしなかった。このドキュメンタリーを見ると、被害者が告訴しても、強力な材料があっても、私たちを守るために税金をもらっている公共機関が、私たちの正義を否定していることに気づく。

この点で、『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』は伊藤詩織を「検察の裁判官」に変えた。彼女のドキュメンタリーは、日本の刑事司法制度に対する「有罪」判決の「証拠A」なのだ。

伊藤詩織の支援に多大な労力を費やした西廣弁護士、そして彼女の支援者には、憤慨し悲しむべき理由がある。しかし、たとえそのような理由があったとしても、日本の視聴者から、日本社会における性暴力について描かれた、これまでで最も印象的な作品のひとつを奪うべきではないだろう。

反対したうえで公開を認める手もある

ある日本人女性弁護士は、「ホテルに誓約書を提出した伊藤詩織さんの元弁護士たちが、映画で防犯カメラ映像を使用することを容認していないことを明確にしなければならないということは理解できます。しかし、もし私だったら、そのことを明確にしたあとは、それ以上の深追いはせず、映画の公開を止めることはしないでしょう」と言う。

フランスでは、昨年、夫が主導する集団レイプの被害者であったジゼル・ペリコが、加害者の刑事事件において匿名のままでいる権利を放棄して公開裁判を望み、自分の顔も名前も公開した。ジゼルの勇気ある行動はフランスにおいてメディアにおいて大きく取り上げられ、多くの人から賞賛され、性暴力の問題について社会の関心を高めることにつながった。

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