蔦屋重三郎「売れる狂歌本」出すために取った戦略 「狂歌ブーム」の天明期に蔦重が仕掛けたこと

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しかし、そうした「営利目的」だけで近付いても、それは相手に見透かされてしまい、逆効果ということもあります。やはり、重三郎は、歌会などの文化的な雰囲気や、創作活動というものが好きだったのでしょう。

重三郎は「蔦唐丸」という狂歌名を持ち、狂歌を詠んでいました。彼はただ、歌会を主催するだけでなく、狂歌師などと一緒になって、歌会を開催し、作歌を楽しんでいたのです。

吉原で文化人との交流を盛んに行った

重三郎のこうした振る舞いを「歌会で遊ぶ仲間になるための手段」「手練手管を用いて、歌会外交を繰り広げていく」(松木寛『蔦屋重三郎』講談社、2002年)と評する向きもあります。その見解を否定するつもりは毛頭ありませんが、重三郎の内心には、そうした下心以外のものもあったように、私には思えてなりません。

重三郎と文化人との交流は、吉原の妓楼で行われました。吉原で生まれ育った重三郎にとって、吉原は自分の庭のようなものだったでしょう。サッカーの試合にしても「アウェイ」(相手の本拠地、敵地)よりも、自国(地元)での試合のほうが有利ということは、よく言われることです。重三郎は、自らの利点を最大限活かして、仕事に邁進したのでした。

(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro

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