エロ詩吟から岩手の人気者に「天津木村」の現在地 「中年の危機」で不安になるも決めた移住の覚悟
ブレイクを果たすと、本の出版や2009年の新語・流行語大賞ノミネートなど一世を風靡。月収は最高で390万円に跳ね上がり、「当時は調子に乗ってましたよね」と言う通り、家賃24万円の高級マンションに移り住み、豪勢な暮らしを送ったという。
「手取り1桁」バイト生活で磨いた傾聴力
しかし、人気は長く続かず、仕事は激減し、芸人としての月の収入は3桁から1桁に。妻と2人の娘を養っていくのは難しくなり、いくつもアルバイトをして生計を立てるようになった。
芸人としては大きな挫折経験だが、窮地に陥った時こそ、人間の真価が問われる。木村さんはそれぞれのバイトの現場で対人スキルの高さを発揮。テレアポのバイトでは、巧みな話術が見込まれ、正社員にならないかとスカウトを受けるほどだった。
1時間1000円で"おっさん"を貸し出す「おっさんレンタル」では、ビジネスマンや主婦から指名を受けてファミレスや喫茶店などの現場へ赴いた。
「話し相手として呼ばれて行って、恋愛の悩みや職場の愚痴を聴きました。一般の人たちも実は話を聴いてほしいんやと気づき、安心して話してもらえるように、相槌の打ち方とか聴く時の表情とか、自分なりに考えて工夫しました」
この時に磨いた傾聴力が、岩手でのロケで一般の人たちから話を聴くことに役立っているという。
その後、もともと好きだった車の運転を仕事に生かそうと大型二種免許を取得し、ロケバス運転手のバイトを始めた。すると、タレントのヒロミさんから声を掛けられ、専属ドライバーとして働くようになった。
それぞれのバイトでスキルを磨いたとはいえ、40代にしてバイト生活で、再ブレイクの兆しも見えない日々。10年後の自分の姿を描き、そこから逆算して日々の目標を設定しようと考えたが、うまくいかなかった。
「10年後、自分がどうなっているのか想像もできない。芸人として舞台に立っているのか、バイトをしているのか、地元に帰って商売でもやっているのか……。先が見えなくて、ずっともやもやしていました」
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