エロ詩吟から岩手の人気者に「天津木村」の現在地 「中年の危機」で不安になるも決めた移住の覚悟

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『GO!GO!いわて』が放送される土曜日の午前中は、盛岡市に本社を置く岩手ローカルの民放4社が独自の情報番組でしのぎを削る時間帯。

在岩手4局の中でもっとも後発の岩手朝日テレビは20年来、後塵を拝していたが、木村さんを抜擢して4年目の2024年には、局の史上初めて首位に躍り出た。

番組のロケ中の木村さん
「柔道のまち」を掲げる岩手県久慈市で柔道を体験する木村さん(写真:岩手朝日テレビ)

さらに『GO!GO!いわて』の翌年には、同局金曜深夜帯の『天津木村のへえ~』も放送が始まった。FMラジオでも冠番組がスタートしたほか、県の「いわて暮らしアンバサダー」やJA全農いわての「いわて純情米応援団長」としてCMにも出演。地元紙・岩手日報やスポーツ情報誌でコラムも連載している。

岩手進出から2年ほどのあいだに、すっかり岩手の人気者になった木村さん。全国区の知名度があったとはいえ、縁もゆかりもない土地で人気を獲得できたのはなぜなのか。

「あると思います!」でブレイク

40代半ばにして新天地で再ブレイクを果たした木村さんだが、お笑い業界でのキャリアは決して平坦な道のりではなかった。

兵庫県姫路市出身の木村さんは大学を卒業後、吉本興業が主催するNSC大阪校へ。同期の天津飯大郎さんと1999年にお笑いコンビ天津を結成した。

そこから10年近く大阪を拠点に下積み生活を送った後、父も祖母も詩吟の師範で自身も師範代という特技を生かし、下ネタと詩吟を融合させたエロ詩吟で2008年にブレイクした。

ブレイク当時の木村さん
「吟じます」や「あると思います」でブレイクした当時(写真:吉本興業)

"エロ詩吟"誕生のきっかけは、お笑いコンビ・麒麟のラジオ番組。ブラックマヨネーズやサバンナといった先輩芸人らからアドバイスを受け、定番フレーズとして使うようになった「吟じます」や「あると思います」が流行した。木村さんは「エロ詩吟は自分で作ったという意識はなく、作ってもらったもの」と振り返る。

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