「40代からアメリカで挑戦」平岳大が語る仕事観 「キャプテン・アメリカ」の最新作に出演

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――平さん自身、もともと海外志向は?

高校のときからアメリカに行っていました。そして、役者になっても映画は観ていましたね。だからいつかは……と言いつつも、そこまで具体的ではなかったのですが、きっかけは『Lost Girls and Love Hotels(原題)』という小さな映画をやったときですね。

それは「Giri/Haji」よりも前の話なのですが、そのオーディションに行ったときに、主演の女優さんが来ていて。その人とのオーディションだったんですけど、そのオーディションで「俺はこれがやりたかったんだ!」と思ったんですよ。もう本当に目からウロコというか、衝撃でしたね。

オーディションで、自分が思った感情を、感情を乗せて大げさな芝居をするわけじゃなくても、自分が言ったことで相手の気持ちが動いているのがわかったんです。

彼女が言ったセリフで自分の気持ちも動いたし、芝居のキャッチボールという基本的なことなんですけど、そこでできたような気がしたんですよね。

よく(アメリカのインタビュー番組)「アクターズ・スタジオ・インタビュー」などでもみんな語っていますが、僕自身ではそういうモーメントをあまりつかめずにいた。でもそのときに、みんなが言っていたのはこういうことか、と。それで自宅に帰って妻に相談して、アメリカでやってみていいか、と相談しました。

40代でキャリアを転換

――時期的には40代を過ぎたあたりということで、日本でもそれなりにキャリアを積み重ねてきた頃だと思うのですが。年齢的に、そこからキャリアを転換するというのに躊躇はなかったですか?

そうですね。妻も妊娠していましたが、でもこれをやらなかったらすごく後悔しそうな気がして。今考えるとやらないという選択肢はなかったですね。

――奥様も特に反対はなく?

そうですね。トライして駄目だったらまたやり直せばいい、という感じでしたね。

――野球の大谷選手もそうですし、ドラマの「SHOGUN 将軍」などもそうですが、日本の文化や人が海外で評価されるとすごく誇らしい気持ちになります。

僕は昔とった杵柄で、中学生くらいから向こうに行って英語で話していましたが、自分が生きる場所で、一生懸命やってくのを他の人が見ることで、意欲を持ってくれたらいいなとは思いますね。

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