スカイマーク退任会長が明かす「失敗の本質」 井手会長に聞く、スカイ17年の軌跡<後編>

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A380の購入中止を検討し始めたのは2014年1月。選択肢は2つあった。1つは、円安の影響を少しでも抑えるため、機材の受け渡し時期を延ばすこと。もう1つは、A380の前払い金が返却されないことを前提に、ほかの機材に変えられないかと提案をすることだった。

(撮影:尾形文繁)

「今使っているB737は2017年に製造中止になるので、次の機体を買わなきゃならない。その選択肢の1つとして、エアバスのA320Neoに振り替えようとした。実際、ほかの航空会社がA380の購入をやめ、ほかの機材に変更する例があった。

3月から具体的な交渉をしていたが、交渉の途中だった7月に例のファックスが送られてきた。そこで匂わせていたのは『大手の傘下に入れ』という内容だったので驚いた。スカイマークを大手とくっつけて、A380を飛ばそうとしているのだと感じた。

ファックスが来てからは、再建が得意ではない西久保(愼一社長<当時>)さんに代わって、僕と有森(正和・現社長)で再建の絵を描いて動いていた。法的整理についても、その計画に入れていた。

実は9月に大きな増資が入る予定だったが、結局流れた。これが打撃になった。ただそれは、西久保さんにオーナーシップを手放してほしいという話で、素人に経営権を渡すのはいかがなものかということになった」

突然"政治"が絡んできた

その後、11月にJALとの提携交渉に入る。年明けからのコードシェア(共同運航)開始を狙っていた。しかし、国交省が難色を示し、その後はANAとも交渉のテーブルにつくことになった。

「これは政治の力学だ。JALは(2016年度まで新たな出資に制限を設ける)8.10ペーパーがあるから出資はできないが、だからこそコードシェアでウィンウィンにやりませんかと持ち掛けた。コストも抑えられるし、固定的な収入も得られる。ANAは、出資する航空3社も含めると、多くの羽田発着枠を持ち、すでにコードシェアも互いにやっているので、われわれから見たら不公平だった。

しかし、そこに“政治”が絡んできた。JAL単独ではなく、両方、もしくはANAだけだと。年末まではこのまま行けると考えていたので、具体的な路線の話もJALとはしていたが、土壇場でANAありきになった。そこから、シナリオがぐるっと変わってしまった」

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