しかし、「パートナーはいたほうがいい」とする酒井氏自身、今は同居するパートナーがいる。実は2003年に刊行して社会現象になった『負け犬の遠吠え』も、「1人でも大丈夫、と言いたかったわけではなく、どちらかというと逆の意図で書いたのですが、いろいろな読み方をされましたね」と振り返る。
「私自身、30代の負け犬盛りの頃に、ローキックを少しずつ当てられているように精神を削られていく感覚がありました。『1人でもいいんだよ』という風潮がありますが、寂しさを軽く見ないほうがいい。
寒いときに『寒いね』、おいしいときに『おいしいね』と言い合うのは、何かを生み出すわけじゃないけれど、精神の健康にとって重要ではないかという気がしています。もちろん、1人が全然平気な人もいるので、全員にパートナーがいる必要もないとは思いますが」
「負け犬」には生きやすい社会になった
「負け犬」は、昔に比べれば生きやすいはずだ。酒井氏は「松本清張の小説に『負け犬』ものがありまして」と切り出す。「そこに出てくる独身の女性は、ギスギスしていてガリガリに痩せ、社内で金貸しをするなどお金を増やすことしか楽しみがなく、挙句の果てに殺されてしまう。そんな作品が何作かあって、“ハイミス”は馬鹿にされて当たり前の存在だったことを感じます。いまのおひとり様小説とは大きく違います」。
コンプライアンスの考え方が浸透したことはよかったと話す。
「今は『産んでいない人にはわからない』とは言えないし、『専業主婦は世間を知らないくせに』とも言えない。内心どう思っていようと、口に出さないことは意外に大切だったと思います。礫の投げ合いが減ったことによって、表面だけでも近づいて『お互い大変なんだ』と思いやれるようになった。コンプライアンスに息苦しさを感じる人もいる一方、マイノリティは、以前より息をしやすくなっていると思います」
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