日本で累計5万台「プジョー206」ヒットの要因 1998年に生まれたエポックメイキングな1台

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最初に挙げた、日本での登録台数のピークの年と近いことがおわかりだろう。WRCでの活躍は間違いなく、206人気を後押ししていた。S16やRCを、WRカーのようにワイドボディ化して乗るオーナーもいたほどだ。

欠点もあれど評価すべき存在

もちろん、欠点がなかったわけではない。筆者も記憶しているのは、日本仕様の多くの車種が採用していた、右ハンドルのドライビングポジションだ。

当時の欧州製小型車は、この点に不満がある車種が他にもあったが、206の場合は外観からもわかるように、車内への空気取り入れ口を右側に寄せて置いた影響もあり、ペダルの位置がかなり手前にあった。

ボンネット上にある空気の取り入れ口は、右ハンドル車でもこの位置のままだった(写真:Stellantis)
ボンネット上にある空気の取り入れ口は、右ハンドル車でもこの位置のままだった(写真:Stellantis)

ペダルに合わせてドライビングポジションを取るとステアリングが遠くなり、当時はテレスコピック機構もなかったので、シートバックを立て気味にして運転せざるをえなかったことを覚えている。また、ペダルは左側(車体中央)に寄っており、少々身体をひねるように乗らなければならなかった。

ワイパーも左ハンドル用のままで、右側はリンクを内蔵することでフロントウインドー右上の拭き残しが少なくなるようにしていたものの、歩道側に水しぶきがかかる構造であることは変わらなかった。

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筆者が所有したこのクラスのプジョーが205GTIと207CCで、206が抜けているのは、このドライビングポジションに馴染めなかったのと、ピニンファリーナから変わったスタイリングに戸惑っていたことが大きい。

とはいえ冒頭で書いたように、日本でも世界でも、プジョーとしてはトップレベルの販売実績を打ち立てたわけであり、エポックメイキングな1台として評価すべきではないかと思っている。

【写真】もう一度、振り返ってみたい「プジョー206」デザインの妙
森口 将之 モビリティジャーナリスト

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もりぐち まさゆき / Masayuki Moriguchi

1962年生まれ。モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。著書に『富山から拡がる交通革命』(交通新聞社新書)。

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