スカイマーク会長が退任直前に語った真実 井手会長に聞く、スカイ17年の軌跡<前編>

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「マスメディアにも叩かれ、他社もネガティブキャンペーンを展開して、客数も随分減った。ただ、結果的には効率のよいB737への入れ替えもでき、羽田―新千歳線という幹線にも就航できた」

西久保さんでなければ独立を保てなかった

(撮影:尾形文繁)

この間、2004年1月には、前年に筆頭株主となっていた西久保愼一氏が社長に就任した。インターネット業界で名を馳せた経営者の異例ともいえる転身だった。

「西久保さんは『自立した第三の航空会社に仕上げるんだ』といって投資してくれた。(IT業界出身なので)予約システムも作ることができるのも大きかった。小型機材を高頻度で飛ばす計画を前に進める重要なステップだった。

もともと澤田さんと私は考え方が違っていた。澤田さんはどちらかというと大手の傘下に入った方がよいという考えを持っていた。西久保さんがオーナーになっていなかったら、独立性を保てなかった可能性は高い」

西久保氏の社長就任後には、整備士や乗員の退職が相次ぎ、事業に支障を来した局面もあった。同氏が取り入れた成果主義的な人事制度が原因ではないかという声も相次いだ。

「これは西久保さんが何かをしたからということではない。乗員や整備士はどうしても他社、特にJALやANAと待遇を比較する。しかし、われわれが低価格を提供し続けるにはコストを抑えないといけない。

一部には独自の労働組合を作ろうとする動きもあった。ただ、そこだけ待遇が上がると、ほかも上げなければならない。それでは経営は無理。スカイマークの方針に賛同できないのであれば出て行ってもらっても構いません、という話が大げさに伝わったのだと思う」

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