ロシアーウクライナ戦争が起こった歴史的な必然 「東欧を制する者が世界を制する」100年前の格言

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この楽観論に一喝したのがマッキンダーでした。マッキンダーが1919年に著した『民主主義の理想と現実』は、次の序文から始まります。

「目下我々の頭の中は、未だに一切を巻き込んだ戦争の生々しい記憶でいっぱいである……こういうときには、疲れ切った人たちがもう戦争はごめんだと思う単純な理由から、得てして永久的な平和が訪れるかのように錯覚する誘惑に陥りやすい。けれども国際的な緊張は、最初はゆっくりでも、どのみちまた増加の一途を辿るだろう……もし我々が将来戦争のない世界を作ろうという国際連盟の理想を貫徹したいならば……地理的な事実をよく弁えた上で、これらの影響に対処する方策を考える必要があるだろう」

東欧に緩衝地帯を作ることを提案

要するに、「戦争直後に一時的に広がる平和への願いは次第に薄くなるので、そのような一時の感情で揺らがない、長期的で地理的現実を踏まえた平和体制を構築するべきだ」と訴えたのです。では、マッキンダーの考えた平和体制とは一体どんなものだったのでしょうか。一言でいえば、それは東欧に緩衝地帯(国と国の間に位置する、どちらの国の領土にも含まれない地帯)を作ることでした。

今のドイツとは違い、第一次世界大戦まで、ドイツの領土は今日よりも東に大きく突き出ていて、ロシアと長い国境を共有していました。しかし、戦争でドイツと同盟国のオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたため、連合国はここ一帯の国境を新たに引き直す機会を得ました。そこでマッキンダーは、ここに複数の新たな独立国家を設けることを提案しました。

なお、ここに独立国家を作り出すことは戦争終結前からほぼ決定していましたが、その主目的はあくまで民族自決、つまり「各民族は自分たちの独立国家を持つべき」という理念を叶えるためでした。しかし、マッキンダーが論じたのは、東欧に独立国家群が誕生する地政学的意義でした。

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