品川区でもほぼ無名「都心に取り残された街」の姿 "東京の田舎"の姿を残した「中延」の深い魅力

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2025年の巳年は中延が熱い

さて、今回中延を選んだひとつの理由が今年の干支にある。実は、中延駅から徒歩5分の場所に「蛇窪神社(東京都品川区二葉4-4-12)」があるのだ。

蛇窪神社
蛇窪神社(東京都品川区二葉4-4-12)(筆者撮影)

名前のとおり、ヘビを祀った神社である。名前のとおり、と思わず書いてはしまったが、そもそもの由緒は別のところにあるようだ。荏原の一帯がかつて「蛇窪」という地名だったのである。

地名に蛇の文字が使われていた理由は定かではないが、どうやら近くを流れる河が蛇のようにウネウネと蛇行していたことから、この名が使われるようになったようだ。

神社の由緒は、鎌倉時代にまで遡る。文永8年(1272年)北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去った。時千代は家臣の多くを蛇窪付近に居住させた。その後、家臣たちが蛇窪の地に神社を建立した。これが現在の蛇窪神社であるとのことだ。

蛇窪神社の境内には白蛇の像がそこかしこに置かれている。蛇窪神社と白蛇の関係も、鎌倉時代に縁がある。当時、天祖神社の社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいた。これが神社と白蛇の出会いだ。

時を経て、洗い場がなくなり、白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになった。 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願した。森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとに戻すよう願い出た。

宮司は辨財天社を建立することに決め、現在の駐車場に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祀った。(※同神社HPを筆者が要約)

蛇窪神社の白蛇像
蛇窪神社の白蛇像(筆者撮影)
蛇窪神社の白蛇像
蛇窪神社の白蛇像(筆者撮影)
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