「私に問題があるのはわかっています。私は最終的に自分のことが信用できません。だから娘のことも信用できない。私の娘だからだらしない大人になってしまうんじゃないかと焦りが出て、いろいろ言ってしまうんです」
その話しぶりから、昭子さんはまだご自身の問題にどっぷりと浸かっていると感じました。一方で、彼女は最後に少し俯瞰した視点から気持ちを吐露してくださいました。
「私は娘の人格を認めていなかったんでしょうね。小学生の頃は私の言うことをしぶしぶでも聞いていたのに、中学生になったら聞かなくなった。それが悔しくて、娘をひとりの人間として見ていなかったのだと思います」
「娘というより、私自身が発達障害なのかもしれません。当時は発達障害という言葉がありませんでしたが、保育園の頃から私は人と同じことができませんでした」
「私には、もっとかわいがられたかった、愛されたかったという感情が心の奥底にあるんです。そしてすごく僻みっぽい。それを表に出すことが恥ずかしいとも思っています。満たされるような子ども時代を送りたかったです」
自分の課題に取り組むことが状況を好転させる
問題を抱えている親の子どもが不登校になっているケースは多いです。
子どもの不登校を機に発達障害について知り、「自分がそうかも?」と思い始める例は少なくありません。自分を肯定できない理由のなかに、生まれ持った特性に気づかず、できないことをできないと認められないまま大人になってしまった経緯があるのも事実です。
また、親自身の育った環境やその親から得た価値観は子育てに影響を与えています。しかし、多くの親はそれに気づかず、気づいたとしても簡単には認められません。
昭子さんのお話の中に「自分だけの人がほしい」という幼少期のエピソードが出ましたが、もしかしたら昭子さんは娘さんのことを無意識に自分だけのものとして所有、支配しようとしたのかもしれません。
不登校はそれまで何も言い返さず育ってきた娘さんの無言の自己主張ともいえます。それをきっかけに昭子さんは自分を見つめることに意識を向け始めました。それでも幼少期に抱えたネガティブな感情からは一足飛びには抜け出せないのでしょう。
昭子さんは娘さんの不登校を通じて自分を見つめ、苦しみながらも一歩一歩前に進まれています。
子どもが不登校になったとき、自分の課題に気づいて、怖れずに取り組むことがその後の人生を、より幸せに豊かにすると私は思います。
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