つまり、ある行為についての評価(悪いことなのか、良いことなのか)を直観的に方向づける影響力を持っているのだ。これは言い換えると、その判断がほとんど無意識に行われていることを示唆している。
ハイトは、神聖モジュールが反応しやすいものについて、「もの(国旗、十字架など)、場所(メッカ、国家の誕生にまつわる戦場の跡など)、人物(聖者、英雄など)、原理(自由、博愛、平等など)」といった例を挙げ、「神聖の心理は、互いに結束して道徳共同体を築く方向に人々を導く。
道徳共同体に属する誰かが、その共同体の神聖な支柱を冒瀆すれば、集団による情動的かつ懲罰的な反応がきわめて迅速に起こるはずだ」と指摘している(同前)。
USスチールは「共同体の神聖な支柱」
トランプ次期大統領は、自身のSNSで「かつて偉大で強力だったUSスチールが日本製鉄に買収されることに全面的に反対する」と投稿したが、バイデン大統領も以前 「USスチールは1世紀以上にわたりアメリカの象徴的な鉄鋼会社であり、国内で所有され、運営されるアメリカの鉄鋼会社であり続けることが極めて重要だ」と発言している。
USスチールはアメリカの力と繁栄を象徴する「共同体の神聖な支柱」なのであり、それが他国の手に渡ることは冒瀆に近い行為になり得るのだ。
21世紀に入っても、この神聖モジュールが国の威信やナショナルアイデンティティを体現する「もの」や「場所」などにしっかりと根を張っているだけでなく、依然としてその深層にある感情を目覚めさせるポテンシャルを秘めていることが改めて浮き彫りになったといえる。
けれども、なぜ同盟国による買収計画で、しかも中国との競争が念頭にあるにもかかわらず、かたくななまでに拒絶するのだろうか。BBCによれば、「アメリカ政府は1990年以降、外国企業による買収を8件しか阻止していない。そのほとんどは過去10年間のもので、中国企業が関与していた」という(日本製鉄とUSスチールが米政府など提訴 「政治目的で不適切な影響力行使」と/2025年1月7日/BBC)。
可能性としては、先の国の威信やナショナルアイデンティティにひも付いている神聖モジュールが、社会経済状況の悪化とともに過剰反応するようになったことが考えられるだろう。そうなると、今後多様な分野で感情的な反発からハレーションを引き起こすことが増えていくかもしれない。
金融ジャーナリストのロジャー・ローウェンスタインは、大統領選から撤退する前の昨春の段階で「疑いなく、バイデン氏はドナルド・トランプ氏の自国第一主義なアピールに対抗したいと考えている」と評した(It Hurts to See Biden Imitating Trump on Trade/2024年3月21日/The New York Times)。バイデン大統領が身に付け始めたポピュリズム的しぐさに対する批判である。
ポピュリズムにおいては、支持者を拡大するために対立候補の政策を“盗む”ことが頻繁に見られる。要するに、保守層にもウイングを広げたいのだ。
もはや単なる人気取りでしかないので、これまでの政治的なスタンスとの整合性は軽視される。そして、最悪の場合、真に国益となるのか、自国民のためになるかといった実際上の問題は考慮されなくなる恐れがある。
「自分たちの沽券(こけん)に関わるシンボリックなものが侵食されるのを座視するわけにはいかない」――これが多くの国民の琴線に触れるものであり、支持率に直結するのであればなおさらである。
自尊心を脅かすものをすべて敵対勢力とみなすアイデンティティ戦争の様相を呈していることに注意を向ける必要がありそうだ。
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