ニューヨークの死体調査官が目撃した悲惨な現場 「死体と話す NY死体調査官が見た5000の死」

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とりとめもない雑談は役に立っただろうし、確かに、わたしには笑いが必要だった。でもこの種の恐怖に対してしらふでいられるか試すつもりはなかった。この六年間、わたしは一度も酒を飲むことなく断酒を続けてきた。アルコホーリクス・アノニマスのミーティングには、前ほどではなかったが通っていたし、プログラムも続けていた。周りで人が酒を飲んでも気にならなかった。簡単にやり過ごせた。だがこのような邪悪な行為を見てしまうと、それを口実にアルコールで自分を麻痺させかねないし、そんなリスクは取りたくなかった。感情の暴走を止めなければならない。バーに行ってはいけない。今日はダメだ。

わたしは屋上の欄干のところへ歩き、街を見渡し、それから祈った。あの少女が火をつけられる前に亡くなっていて、痛い思いをしていませんように、と。わたしがしらふでいられますようにとも。この時ばかりは自分の身体から抜け出して、見たものを見なかったことにして、記憶から消したいと思った。酒に酔えば気はまぎれるが、ほんの一時的なものだ。他の悲惨な事件でも同じような気持ちになったことはある。だがこの少女の死の何かが、いつも以上にわたしを打ちのめした。

少女の身元は、足首に巻き付けられていた黒焦げの金属のアンクレットから判明した。半分になったハート形のチャームがついたアンクレットは、ローザ・カストロが娘のジョハリスにプレゼントしたものだった。コンピューター・サイエンスを専攻するその19歳の大学生は、家族の自慢だった。美人で活発な少女は、今後ずっと過去形で語られることになるのだ。

検死でわかったこと

検死の結果、ジョハリスはレイプされ、首を絞められたあと、火をつけられたことがわかった。火傷は生前のものと死後のものの両方があり、つまりジョハリスは生きている時に火を放たれたということだ。意識はあったのか? だとしたら耐えられないほどの痛みだっただろう。身体が燃えている間、彼女がおとなしく壁に寄りかかっていたはずはない。人間の身体は痛みの感覚を使って、自分の身体が破壊されようとしていると警告する──痛みは「やめろ! 逃げろ! 何とかしろ!」と叫ぶ身体からのおぞましい信号なのだ。ダメージが大きくなればなるほど、苦痛も大きくなる。痛みの目的は生存なのだ。

皮膚に残っていた赤らんだ格子状の跡についても、手がかりが見つかった。警察が防犯カメラの映像を確認したところ、一人の男がショッピングカートに大きな荷物を載せて建物の中に入っていくところが映っていたのだ。シートで覆われて見えなかったが、カートの中身はジョハリス・カストロだった。意識を失った彼女は、身体を折り曲げられてカートに入れられていたため、金網に押しつけられていた脚や腕に格子状の跡が残ったのだ。これは生活反応だ。彼女は瀕死の状態になるまで首を絞められ、それから庭でゴミを燃やすみたいに燃やされたのだ。

殺人者はまだどこかにいる。

わたしは何とかその日を乗り切り、その翌日も乗り切った。酒に手を出すことなく、仕事をこなした。容疑者が逮捕されることを期待しながら、新聞を開いてジョハリス・カストロの殺人事件の記事を探した。だがそれは無駄な行為だった。パークアベニューに住む少女の殺害事件だったら、新聞の見出しに掲載されて街は大騒ぎになっただろう。人々は激怒すると共に警戒しただろう。だが、公営住宅に住む褐色の肌をしたかわいい少女となると話は別だ。彼女の事件に対する関心はそれほど高くはなかった。

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