それでも日本人が「クリスマスケーキ」が好きな訳 ショートケーキには昭和の日本が詰まっている
きっかけを作ったのは不二家。砂糖の統制が解除された1952年、東京・横浜・京都・大阪で展開していた同社が、全店でクリスマスセールを行った際の目玉が、クリスマスケーキだった。
高度経済成長期は、1953年に開業した数寄屋橋店の周辺に、不二家の赤い箱を持ったサラリーマンであふれた。不二家は1968年までに全国100店舗まで広がり、「子どもの頃は、ケーキと言えば不二家だった」と昭和育ちの地方出身者が言うほどなので、影響力は絶大だったのだろう。
イチゴショートが主流になったのは1967年ごろ以降
不二家は横浜・元町で1910(明治43)年、デコレーションケーキやシュークリームなどを製造販売する洋菓子店として創業。愛知県の農家で生まれ、鉄道職員の養子となった創業者の藤井林右衛門は、開業2年後には渡米して菓子研究を行い、1914年に当時最先端だった喫茶店のソーダ・ファウンテンを開いている。フワフワのスポンジ生地のイチゴのショートケーキを考案した、と言われる有力候補でもある。
クリスマスケーキは創業時から販売しており、初期はドライフルーツが入ったケーキに砂糖と水で作るフォンダンクリームをかける、イギリス風のケーキだった。
イチゴショートの形が主流になったのは1967年ごろ以降。『日本の果物はすごい』(竹下大学)によると、日本では1951年から農業現場にビニールハウスが登場し、1960年頃から促成栽培されたイチゴが、クリスマスシーズンに出荷できるようになっていた。
2015年12月22日付のITメディア ビジネスオンラインの「なぜクリスマスに『苺と生クリームのケーキ』を食べるようになったのか」によると、生産者側が「冬にもイチゴを食べよう」と張ったキャンペーンにケーキ業界が乗ったことで、イチゴのトッピングが定着した。
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