外交交渉路線に転換したウクライナの胸の内 2024年夏から始まっていた停戦に向けた模索

✎ 1〜 ✎ 178 ✎ 179 ✎ 180 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、実際には世界平和サミットの第2回会合は結局開催されず、「クリミアの武力奪還は無理」との12月1日のゼレンスキー発言につながった。

なぜこうなったのか。ウクライナ戦争に詳しい軍事筋によると、トランプ政権が再登場するという外的要因以外に大きな軍事的要因があった。

2024年夏にひそかに着手されたクリミア半島への初期的攻撃作戦が結局、失敗に終わり、目指していた大規模な制圧作戦を開始できなかったことが影響したのだ。

大規模な制圧作戦を始められなかったウクライナ

ウクライナ軍はこの失敗を発表しておらず、詳細は不明だが、この失敗が結果的に今回の「クリミア奪還は無理」というゼレンスキー発言につながったのだという。

ウクライナ軍は2024年8月初め、ロシア西部の国境に面したクルスク州への越境攻撃を行い、現在も一部の占領を続けている。しかし、当初はこのクリミア攻撃こそが最重要な攻撃で、クルスクへの攻撃は補助的攻撃作戦になるはずだったと軍事筋は明かす。

また、この夏、ゼレンスキー政権の内部では、戦争継続の意味について自問する声も出ていた。ある高官は「このまま戦闘を続けても戦争を終わらせることができるのか」という疑問を正直に吐露していた。

政権内部で戦争継続へのこうした疑問が出始めた背景には、2023年6月に始まった本格的反攻作戦の失敗もある。「正直、もっとやれると思っていた」と述懐する。

「国の独立と主権は戦争でしか守れないが、全領土の回復は外交交渉でも取り返せるはずだ」と外交解決路線への移行を求める意見も出ていたという。

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事