ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」
一方、それまでの食堂車が衰退する中で、JR発足後の1980年代後半から食堂車の代名詞となったのが寝台特急の豪華食堂車だ。
そのはしりとなったのは1988年3月、青函トンネル開業に合わせて上野―札幌間で運行を開始した「北斗星」で、JR東日本担当編成、JR北海道担当編成でそれぞれインテリアが異なる食堂車「グランシャリオ」を連結し、予約制でフランス料理のフルコースディナーや懐石御膳が味わえた。
1989年7月には大阪―札幌間を結ぶ「トワイライトエクスプレス」が営業運転を開始し、こちらも同じく予約制のフルコースディナーを味わえる食堂車「ダイナープレヤデス」を連結。さらに1999年7月には、オールA寝台2人用個室の「カシオペア」が登場し、2階建て食堂車では一流レストランの雰囲気を楽しめた。
筆者は2001年1月に『旅と鉄道』誌で「カシオペアの食を楽しむ」としてディナーと朝食を取材した。が、盛岡の手前で「奥中山付近豪雪で不通」の情報が入り、朝食は味わえたものの盛岡駅で昼過ぎまで停車。予定外の昼食は「炊き出し」のおにぎりが配られた。ディナーと朝食の取材自体はできたものの、その後新幹線で東京に戻ることになってしまった。豪華列車で炊き出しという、珍しい体験ではあった。
これらの豪華寝台特急も、惜しまれつつ2016年3月までにすべて廃止となり、一般に気軽に乗って利用できた、日本の定期列車における食堂車の歴史は事実上終了した。
日本を走った「オリエント急行」食堂車
最後に、日本を走った豪華国際列車「オリエント急行」についても触れておきたい。1988年にシベリア鉄道を経由して来日したオリエント急行は、軌間の異なる台車を車両メーカーで交換し、日本国内では車籍を田町客車区所属の車両として走行した。
来日したオリエント急行には2両の食堂車があり、料理は一流シェフが原材料から調理する一流レストラン並み、サービスは本場欧州のギャルソン(給仕)が担った。食堂車の火力は石炭レンジによるもので、国内の防火基準に合致せず走行が危ぶまれたが、これはさまざまな対策を施して“超法規的”に解決され、無事青函トンネルを通過して北海道まで乗り入れた。
一時的にしろ「日本の客車」としてオリエント急行が存在したことは今でも鉄道関係者たちの語り草になっているし、「北斗星」などのハイグレード食堂車に与えた影響は大きいものがあった。
筆者としては、オリエント急行とまではいかないにしても、「サンライズ出雲・瀬戸」や東京―博多間の「のぞみ」、札幌延伸時の北海道新幹線などに食堂車を――と願いたいが、現在ではもはや実現可能性のないことであろうか。
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