ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」
新幹線は、1964年10月の開業当初はビュフェだけの営業であったが、1975年3月の山陽新幹線博多開業を控えた1974年から、一部列車に食堂車が連結され営業を開始した。博多開業以降は「ひかり」の全列車で食堂車の営業が開始された。
この際に投入された0系の食堂車は当初、山側(富士山側)が壁を挟んで通路になっていたが、乗客から「せっかくの富士山が見えない」と苦情が寄せられたことで壁に窓を設ける改造が行われ、食事中に富士山の眺めが楽しめるようになった。
当時の食堂車は複数の会社が営業しており、日本食堂、帝国ホテル列車食堂、ビュフェとうきょう、都ホテルなど一流ホテルも参加して味を競っていた。時刻表には列車ごとの食堂車営業会社が明記されていて、乗客は好みの食堂車を選んで利用することもできた。
食堂車新時代、100系新幹線や「北斗星」
1985年10月1日、東海道・山陽新幹線のニューフェイスとして国鉄初の2階建て車を連結した100系が登場した。食堂車は2階建てとなり、車窓の風景をワイドに眺めながら食事が楽しめた。
筆者も国鉄時代の運行開始から「グランドひかり」の食堂車廃止まで「列車追跡」でルポを何度も担当した。
とくに印象深いのは2000年2月、同年春のダイヤ改正で廃止となる「グランドひかり」食堂車を取材した『鉄道ジャーナル』誌での博多―東京間のルポだ。食堂車に居続けてメニューをできるだけ味わうというミッションだったが、居合わせた鉄道ファンのグループの協力によって全メニューの取材が達成できたことは懐かしい思い出だ。
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