ブルトレから新幹線まで「食堂車」黄金期の記憶 かつては全国を走っていた「鉄道の旅の楽しみ」
その取材で乗ったのは「はやぶさ」だった。食堂車の従業員に取材のあいさつに行くと「新人さん」と呼ばれている高校を卒業したばかりの女性が勤務についていた。まだ接客もままならず、カメラを向けると顔をそむけるしぐさをした。すると、ベテランのスタッフが「ダメよ、サービス業なんだから笑顔でね」と注意した。
それから2年後、再び取材で「はやぶさ」に乗ったときのことだ。食堂車にあいさつに行くと、カウンターで接客に忙しく働く、見覚えある顔の女性がいた。「あ、あのときの新人さん」と声をかけると、女性クルーのリーダー格として食堂車を切り回していたのだ。彼女は「はい、あのときのことはよく覚えています、あの取材で度胸がついたみたいで……」と言った。うれしい再会だった。
ハイグレード化もつかの間…
1970年代半ば以降、「あさかぜ」をはじめとする九州行きのブルトレは新型の24系25形客車に置き換えられ、国鉄末期になると寝台のカテゴリーも個室A寝台やシャワー室などを備えた豪華志向になりつつあった。
その流れの中、「あさかぜ」の食堂車も1986年11月にグレードアップされ、オリエント急行をイメージさせるハイグレードなインテリアとなり、料理のメニューも高級志向となった。
だがそれもつかの間、JR発足後しばらくすると列車の合理化が進み、ついに1993年3月のダイヤ改正では、すべての九州ブルトレが食堂車の営業を休止してしまった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら