「M-1エリート」時代の幕開け?新たな伝説に期待 20回目のM-1 令和ロマンが史上初の2連覇に挑む
厳しい言葉だが、一種の親心であると同時に、それだけM-1は"真剣勝負"であることを強調したかったのだろう。それまで漫才は、息抜きのための娯楽を提供するものという考えが強かった。それに対しM-1は、「誰が日本一面白いのか」を決める真剣勝負の場。いまは当たり前に思っているが、その点がまず新鮮だった。「M-1」がその頃流行していた格闘技の大会である「K-1」から来ているのもその表れだ。
"新しい漫才"の競演の場となったM-1
ただ、実際にはM-1は見切りをつける場にはならなかった。真剣勝負であることに変わりはないが、優勝を目指して何度も挑戦するものになった。それだけ芸人という職業は、若者にとって魅力的なものになっていた。
では優勝するためにはどうするか? 自分たちだけの武器を身につけることだ。その結果、M-1は"新しい漫才"の競演の場になっていく。
決勝の常連で2010年に悲願の優勝を果たした笑い飯は、ボケとツッコミがくるくる入れ替わる「ダブルボケ」のスタイル。哲夫と西田のコンビネーションも抜群で、島田紳助は2009年に披露された「鳥人」というネタに史上初の満点となる100点をつけた。
2008年に敗者復活から勝ち上がり準優勝したオードリーは、「ズレ漫才」。若林と春日が、時間差でツッコむなどあえて間を外して掛け合いをする。春日の独特の風貌とキャラクターも相まって、それまでにないスタイルとして高評価を受けた。
ほかにも「ヤホー漫才」のナイツ、「ボケを否定しないツッコミ」の南海キャンディーズ、「ノリツッコまない漫才」のぺこぱなど、ボケとツッコミのパターンにアイデアを盛り込んだコンビは多い。
M-1がこうなった背景には、審査員・松本人志の存在がある。
1980年代に登場したダウンタウンの漫才は正統派でもあったが、同時に従来の漫才の常識を覆すような革新的なものでもあった。それに影響を受けた当時の若者たちは、ダウンタウンに憧れ芸人を目指した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら