多様性のない組織が「ジリ貧」になるワケ 「答えのない世界」で稼ぐ力<前編>
多くの組織で「入社(入省)年次」がお互いの立ち位置を決めるキーワードになっているのです。なぜならば、正解のある世界では、「経験の長い人のほうが、立場が上」だという共通認識がもたれているからで、もし、そのことに異議を唱えようがものなら、「失礼千万なやつ」とレッテルを張られてしまいます。
日本の教育は「答えのある世界」向け
人によっては、今、説明したような組織がとても古臭く感じられ、「そんな旧態依然たる会社、もう絶滅危惧種なんじゃないの?」と思われた方もいたかもしれません。しかし、まだまだこのタイプの方が大勢を占めているのが、日本の企業社会の実態です。
そして、このような組織に適応するよう、若者を徹底的にトレーニングしているのが、大学をはじめとした日本の教育機関です。
学生時代を思い出していただければ、皆さんも思い当たると思いますが、日本の学校、特に高校までは知識を詰め込み、テストでいい点を取ることが、優秀であることの証しとされています。まさに「答えのある世界」の究極が日本の学校教育です。
日本では、各教科とも満遍なく点数の取れる生徒が優秀とされる一方、一芸に秀でた生徒の才能を伸ばすことに熱心な学校は、極めて少数です(全国大会で活躍できるレベルなら、話は少し異なりますが……)。
また、教師は指導要領に基づいて授業を行うのが当たり前とされています。同じ内容の授業を受け続けていれば、おのずと同じような思考回路を持った人間が大量生産されることになります。
同質化した人間を大量生産するのは、高度成長期のように、効率性をひたすら求めていればよかった時代、すなわち「答えのある時代」には、社会の要請にマッチしていたかもしれません。しかし、すでに述べたとおり、時代は「答えのない世界」へと突入しています。この世界では、人間の同質化は何のアドバンテージも生まないのです。
BBT大学の教育が前提としているのは、「答えのない世界」です。「答えのない世界」では、正しい答えがそもそも存在していないので、答えを探す行為は無意味です。なんといっても、存在していないのですから。「答えのない世界」では、答えは「探す」ものではなく「創る」ものなのです。そして、この「答えのない世界」で、答えを創りだす力こそ、稼ぐ力なのです。
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