斎藤知事「"専属広報"が盛大なネタバレ」の深刻度 知事選"SNS戦略"の裏側を公開、何が問題だった?
仕事の成果を人に語りたくなるのは、「大きな仕事をしたことを自慢したい」という私的な欲求もあるだろうが、大きな成功を収めた案件に関わったとなると、今後の仕事にも大きな影響をもたらすという、ビジネス上のメリットを考えてのこともある。
今回の場合は、後者の理由が大きいように思う。
PR会社、広告会社の人たちは、あくまでも黒子に徹しつつ、クライアントの顔色をうかがいつつも、「実はあの案件は、弊社が(あるいは「私が」)」と主張したいし、ときには実際に主張もする。
ただ、今回は選挙で、かつ選挙前から物議を醸していた案件でもある。手の内を明かすことには、もっと慎重であるべきだっただろう。
政治の「広報活動」はこれまでも行われてきた
実際、noteで書かれていたような広報活動は、政治の場で行われることがある。
日本では、第二次世界大戦時の情報統制への反省があり、政治におけるイメージ戦略、情報戦略に対して風当たりが強いのだが、歴史的に見ても、グローバルの視点から見ても、通常に行われていたことだ。
ギリシア、ローマ時代は雄弁術が重視され、政治家には演説で人々を鼓舞することが求められた。シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」では、アントニー(アントニウス)が、演説で大衆を扇動する様子が描かれていた。
過去の宮廷画家も、絵画を通じて支配者が望んだイメージを人々に伝える、一種のPRパーソンの役割を果たしていた。
ヒトラー率いるナチスの隆盛も、宣伝大臣のゲッベルスが当時普及してきた、新聞、ラジオ、映画などの媒体を駆使してプロパガンダを行った効果が大きい。
1960年のアメリカ大統領選でも、J.F.ケネディの勝利は、対立候補のニクソンに対して、徹底的なイメージ戦略をとったことによると言われている。特に、当時台頭してきたテレビに対して、ファッションや立ち居振る舞いを計算して、「若いながらも、強いリーダーシップを持つ政治家」というイメージ形成に成功した。
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