なぜか「尾骨」にあらわれる、人の"心のしんどさ" 心と体は「互いに」密接に影響し合っている

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そうやって偏った価値観が固まっていくと、だんだん「自分もみんなと同じように〇〇しなくちゃ」「自分も〇〇らしくしなきゃ」という考えに行き着きます。その姿はまるで、視野を制限されて決められたゴールに向かって爆走する馬のよう。

そのとき見えているのは、いわば偏った「理想の自分」です。あえて、もっと厳しい言葉を使えば「妄想の自分」と言ってもいいと思います。

みんなと同じように、これができなくちゃいけない。母親として、こんな人間にならなきゃいけない。そうやって、他人との比較の中でできた「理想の(妄想の)自分」を思い描くようになる。

だけど、理想の自分と現実の自分には、往々にして大きな乖離があるものです。だから、みんなその乖離を埋めるべく、提案されるがまま一生懸命に努力する。でも、次から次へと目に入る方法を試してがんばっても、「理想」との距離はなかなか縮まりません。

「どうして?」「じゃあどうすればいいの?」と、ますます情報に溺れ、気づけば理想が強化されて……。これが、今の私たちが抱える「しんどさ」の無限ループの正体です。

「理想の自分」と「現実」との乖離に苦しむ

「より良い自分になりたい」と努力するのは素晴らしいことです。そんな向上心を持っていること自体は、人生においてとても大切なこと。問題なのは、それが自分の中から出てきた向上心ではなく、他人軸でできた向上心であることです。

偏った情報を、自分の中で膨らませた「理想の自分」。それは、情報操作によって生まれたようなものです。 もしも、その「妄想」にとらわれてしまえば、あなたは永遠に現実との乖離に苦しみ、「しんどさ」を抱えつづけることになってしまうでしょう。

人間は1人ひとり個別の存在です。出生地や年齢、バックグラウンドが異なるように、その人の持つ特性や得意なこと、好きなこと、できることやできないこともすべてバラバラです。そして、「なにをもって幸せを感じるのか」も、1人ひとり答えのちがう問いでしょう。

今は、そんな大前提を忘れてしまう環境が整っています。これほど情報がなかった時代は、自分の目に見えるもの、目に入る人だけがモデルケースでした。だから迷うことも、過大な妄想を描く機会もありませんでした。

知らないことさえもあたかも経験したかのように感じることのできる時代だからこそ、少しずつ感覚がおかしくなってしまうのかもしれません。

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