欧州連合という夢は崩壊してしまうのか--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
結局のところ、ユーロ懐疑論者は正しかったのか。欧州統合の夢は、欧州で戦争が再び起きるというおそれに触発され、また時代遅れの国民国家はよき欧州人に取って代わられるという理想主義的な期待に後押しされてきたが、理想郷の袋小路に入ってしまったのか。
欧州の危機は表面的には財政の問題に見える。ユーロ創設の立役者の一人、ジャック・ドロール元欧州委員長は、単一通貨という考えは正しかったが、その「実行」に問題があったとし、その理由として、経済が弱い国にあまりに多くの借り入れを認めすぎたことを挙げている。
だが根本的には、この危機は政治の問題だ。主権国家が自国通貨を持つ場合、国民は税金が経済的に最も弱い地域に向かうことを喜ぶ。これは国家的連帯感──国民は共に国家に帰属しており、危機に際しては集団のために自分の利益を犠牲にする用意があるという感覚──の表明である。
ただし国民国家においてさえ、これは常に自明というわけではない。イタリア北部の住民の多くは、より貧困な南部のためになぜ金を出すべきなのか理解できない。ベルギーの裕福なフランドルの人々は、失業中のワロン人を支援しなければならないことに腹を立てている。
EUは国民国家でも民主主義国でもないので、困難な時期にEUの面倒を見る「欧州国民」はいない。裕福なドイツ人やオランダ人は、ギリシャ人やポルトガル人、スペイン人のひどい経済状態のために金を出したくない。連帯を示す代わりに、まるで欧州の地中海沿岸諸国の問題すべてが生来の怠惰さや国民の腐敗した体質の結果であるかのように彼らは道徳を説いている。その結果、道徳家たちはEUの屋台骨を揺るがしており、国家主義が台頭するリスクを冒している。