道長には理解できない三条天皇の行動
「でかしたな、お前」と言わんばかりだ。藤原道長は嫡男の藤原頼通が、天皇家ゆかりの隆姫女王と結婚することになると、「おそれ多い」と恐縮しながら、「男は妻がらなり」と言って、こんなメッセージを送った。
「男というものは、妻の家がらによって良くも悪くもなる」
ほかならぬ道長が実感したことだ。道長は永延元(987)年12月16日、源倫子と結婚。道長からのアプローチだったようだが、倫子の父である左大臣の源雅信は、乗り気ではなかった。
なにしろ、雅信は祖父に宇多天皇、祖母に醍醐天皇の生母・藤原胤子を持つ。天皇家の血を引く、高貴な雅信からすれば、娘を家格に劣る道長のもとに嫁がせたくはなかった。だが、雅信の妻・藤原穆子(ぼくし)が道長を気に入ったため、婚姻を渋々認めている。
この結婚によって、道長は広大な土御門邸を継承。宇多源氏とつながりを持ち、朝廷内で確かな地位を築いていく。息子・頼通が自分と同じように、婚姻によって己の地位を盤石としたことにさぞ満足したことだろう。


















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