「現代人の不安」の根底にある「つながりのなさ」 「私」ばかりで「私たち」という視点に欠ける社会

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将来の病気に対する不安なども、かつては、かかりつけの医師との対話によって解消することができました。しかし、病院も保健所も、効率化で統合合併してしまい、日本にはかかりつけの医師がいなくなりました。

心臓疾患は心臓医、内臓疾患は内科医、外傷は外科医とカルテで仕切られ、個人が持つ病歴や病態が総合的に評価されていないのです。だから、「私を診てくれるのは、いったい誰なんだろう?」という不安ができてしまう。

僕は、こういったことを、「私」ではなく、「私たち」という目線で改善していかなければいけないと思っています。

今の制度やシステムは、個人間の関係をすべて断ち切って、「あなたは、個人としてこんなに不安な将来を抱えています。だから制度にすがりなさい」と言ってくる。これは、ビジネスのやり方です。

地域特有の身体文化に目を向けよ

今の都市は、男性の目線で作られていて、子供や女性の目線では作られていません。東京なんかは、箱型のビルばかりです。それは、機能を重視して、都市というものを作っているからでしょう。

しかし、地方へ足を運べば、そこには機能ではなく、美しさを重視した風景が広がっていますし、そのような家もあります。そういう場所に一時的でも居住するということは、人間の幸福にとって重要なことかもしれません。

僕は、150人までの規模の人々は、言葉よりも、音楽的なコミュニケーションでつながっていると考えています。

お祭りがよい例です。地域特有の音楽が流れると、みんな同じように体が動きます。対面して同調するさまざまな所作によって、その地域のマナーやエチケットが身体に染みつき、身体文化として、そのコミュニティに適応していく。

そこに言葉は存在しなくてもいい。人々は、そういうところで、繋がってきたのではないでしょうか。

言葉は裏切りますし、人々に不安や疑いを抱かせます。しかし、身体は正直で、疑いを抱かせません。

今の子供たちは、オンライン授業などによって、身体で付き合う技法をきちんと学んでいない可能性があります。「非認知コミュニケーション」と呼ばれる、答えのない、でも受け止めなければならないものは、人間社会にはたくさんあります。それをしっかり覚えなければなりません。

(つづく)

(構成:泉美木蘭)

山極 壽一 総合地球環境学研究所所長、霊長類学者

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やまぎわ じゅいち / Juichi Yamagiwa

京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程退学、理学博士。日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、2014年10月1日より2020年9月末まで京都大学総長。現在、総合地球環境学研究所所長。『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち』(ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)、『猿声人語』(青土社)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(共著、集英社)、『共感革命』(河出新書)など著書多数。

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