中学受験を「しない」勇気が必要なときもある 大人が無自覚に強制する「不安な現実」の苦しさ

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こういう話をすると、とたんに暗い顔になる大人がいます。あからさまに反発される方さえいらっしゃいます。でも、待ってください。そういう方は、まずご自身がせまい価値観の中でしか物事を捉えられていないことを問題にすべきです。中学受験に不向きな子どもだからといって、そこにいったい何の問題があるというのですか。それは大人が問題をでっちあげているだけなのです。

子どもにとって最悪なこと

子どもが中学受験に向いていないことは、子ども自身の価値に影響しません。これは決してきれいごとではありません。中学受験が当たり前という環境にいると、そこらへんがバグってしまう。中学受験のヒエラルキー上位者が輝かしい人間に見えてしまうけれども、そんなわけがないのです。

そんなわけがないのに、成績上位者は人間的にエラいという価値観を親が持つだけでなく、子どもに与えてしまう。成績がよいあの子に対してあなたは何なのという視線を向けることで、半ば無意識にそういうことをやってしまう。これが最悪なのです。

親は自分の子どもの価値を誰よりもよく知っているはずです。何度も言いますが、これはきれいごとではありません。子どもの価値は中学受験をはるかに飛び越えた先にあります。受験がうまくいかないだけで、親は子どもの人生が行き詰まったような気持ちになることもありますが、これも一時的な気の迷いにすぎません。人間が幸せになる要素なんて、複雑すぎてまったく把捉できないのに、そんなに急ぎ足で何を達成しようとしているのでしょうか。

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