「踊る大捜査線」が日本の映画興行に起こした革命 90年代の邦画がいかに惨憺たる状況だったか…

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

よく知られた話だが、1997年1月クールに放送されたドラマ「踊る大捜査線」は当時としては高視聴率でもなかった。だが徐々に熱いファンがついたとき、主演の織田裕二氏はフジテレビのプロデューサー亀山千広氏に「最終話が20%取れたら映画化してほしい」と頼み込んだ。目標通り20%を達成したので、亀山氏は約束を守り映画化へと動いた。その際、映画業界のスタッフで行こうとすると織田氏が猛反対したという。ファンはテレビが好きなのだからテレビのまま映画にするべきだ、と。

亀山氏は学生時代映画青年で映画をリスペクトしていたからこそ、自分たちが制作してはいけないと思い込んでいた。だが織田氏の説得を受け入れ、監督脚本はドラマと同じ本広克行氏と君塚良一氏に任せた。ただ当時は映画館はフィルムで上映するなどプロセスがドラマとまったく違ったので、映画制作の経験値が高いROBOTに制作協力の依頼が来た。

公開当日「事件は映画館で起こった!」

ドラマから生まれた映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」は1998年10月31日に公開された。配給の東宝としては、12月のお正月映画が始まる前に、映画館を賑わせてくれればとの日程だったようだ。

ところが公開当日、びっくりする報告が届いた。映画館で行列ができている!

当時の映画館はネット予約はできないので、チケット売り場に詰めかけた「踊る」ファンが行列を作ったというのだ。実写の邦画で行列ができるなんて前代未聞だ。「事件は現場で起こっているんだ!」の有名なセリフの通り、映画館で事件が起こった。興行は賑やかしどころか年を超えて正月まで続き、配収は50億円に達した。興収換算では101億円と言われている。

先述の最低だった1996年には「Shall we ダンス?」が実写の邦画としては類い稀なヒットとなり、配収16億円を記録した。同じ年の邦画トップは「ゴジラVSデストロイア」の配収20億円。「踊る」の50億円がどれだけすごかったかがわかるだろう。1997年には「もののけ姫」が配収117億6000万円を記録し、ランキングは「ドラえもん」や「エヴァ」など、アニメ作品が占めていた。邦画はアニメでいい、実写はお呼びでないという空気感を「踊る」が吹き飛ばした。

快進撃はそれで終わらない。2作目の「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が2003年の7月に夏休み映画として公開されると空前のヒット、興収173億5000万円となった。1作目の配収50億円、興収で101億円に驚いたのにそれを超えてあまりある数字を叩き出したのだ。この数字は、実写の邦画としてはいまだに破られていない。

フジテレビはROBOT制作で「海猿」シリーズを、映画→ドラマ→映画の順で世に送り出し、2006年に公開された2作目の映画「LIMIT OF LOVE 海猿」は71億円のメガヒットとなった。

「踊る」シリーズからは2005年に2本のスピンオフ作品も公開された。それが「交渉人 真下正義」と「容疑者 室井慎次」だった。それぞれ42億円と38億3000万円のヒットとなった。この秋公開されるのは、「室井慎次」のその後の世界ということになる。

次ページ2000年代、邦画はテレビ局のパワーで復活した
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事