松本抜きでも「水曜日のダウンタウン」が強い理由 パワーダウンせずに世間の話題にのぼり続けている

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説によっては、検証がうまくいかなかったり、はっきりした結論が出なかったりすることもある。そういうときにも、結果そのものを強引に変えてしまったりはせずに、見せ方を工夫することで、何とかオチをつけようとする。

通常であれば、ほとんどのバラエティ番組において、企画はあらかじめ着地点を定めておいてから走り出すものだ。だが、『水曜日のダウンタウン』ではあえてそれを行わない。

もちろん、VTRを作るための下準備や後処理はきっちりやるのだが、現場では起こったことをなるべくそのまま撮ろうとする。そこで生じたことをそのまま捉えて、どう面白くするかは後処理のときにやればいい、という考え方だ。この徹底した割り切りが、この番組独特のカラーになっている。

また、この番組では一般的な倫理観や常識の限界に迫るような、チャレンジングな試みもたびたび行われている。ときにはそれが世間で問題視されたり、批判の対象となることもある。

しかし、番組側はその挑戦的な姿勢を崩すことはない。すでに番組開始から10年を超える長寿番組になっているが、特定の「定番企画」を何度も繰り返し行ったりして守りに入るようなことはなく、新しい企画をどんどん作っている。

番組の芯のクオリティが高い

この番組は、ダウンタウンの冠レギュラー番組ではあるが、ダウンタウンや松本そのものの面白さをメインコンテンツにしていない。番組側が面白いVTRを作っていて、松本はそれを見てコメントをする役割に徹していた。番組の軸を松本が握っていなかったからこそ、彼が抜けてもパワーダウンすることがなかったのだ。

もちろん、この番組であっても、松本が抜けたこと自体は痛手ではある。VTRを見た後の松本の短くて鋭いコメントの切れ味は抜群だったし、スタジオに彼がいることが出演する芸人やタレントのモチベーションにつながっていた面もある。ただ、それでも何とか持ちこたえているのは、番組の芯の部分のクオリティが高いままだからだ。

『水曜日のダウンタウン』は現代バラエティの最高傑作の一つである。2人の船頭のうち1人を失った今でも、その輝きは失われていない。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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