モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口 儒教国家としての認識は改める必要がある
経済安全保障推進法が成立した背景の1つに、技術漏洩・流失がある。スパイ天国とさえ称される日本は、いかにして産業の富を譲り渡したのか。モンゴルで生まれて中国に学び、日本に帰化した著者が「中国ビジネスの本質」を喝破する。
※本稿は、楊海英氏著『中国を見破る』を一部抜粋・編集したものです。
「満洲国は本当によかった」
北京第二外国語学院(以下、第二外大)を卒業してすぐに助手になった私は、学生たちに日本語を教えるかたわら、学生の企業実習に同行することがあった。学生がインターンシップで日本企業の通訳を務める。私にとっては、ビジネスの現場で中国人の本質を見る機会になった。
青海省のガラス工場へ出かけたのは1987年の冬だった。省都の西寧市郊外のモンゴル人の草原に中国の核実験場があり、隣にビール瓶の工場を建設する計画が進んでいた。
日本の大手ガラスメーカーが援助し、第二外大の学生たちが通訳を務める。私たちは3カ月ほど滞在した。
中国側には、漢人の通訳が2人いた。彼らは旧満洲国にいたことがあり、「満洲国は本当によかった」と話す気さくな人たちだった。彼らに言わせると、中国のガラス工場は満洲国に比べて100年遅れていた。当時の中国はビール瓶もまともに製造できなかったのだ。
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