モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口 儒教国家としての認識は改める必要がある

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しかし「中国人には失望した」と嘆く日本人は、もともと誤った認識があった場合もある(中国を過大評価し、中国人に畏敬の念を抱いていたという意味で、である)。

『論語』を現代中国と結びつけてはいけない

中国人の理不尽な振る舞いに「それでも儒教国家の人間ですか。あなたの言動は孔子様の教えに反している」と怒ったところで、「孔子って誰だ」と返されるほうが多いだろう。

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孔子も、中国にまずいない理想の人物像を語ったにすぎない。中国が君子ばかりなら誰も苦労しない。孔子も自分が生きていた時代の現実に失望し、将来の理想像を追い求めた。孔子の『論語』の教えに触れて、日頃の言動を省みたり、自分も君子になろうと考えたりするのは、世界中を見渡しても、日本人ぐらいではないか。同時に日本人が勘違いしているのは、孔子の時代はよかった、という見方である。

もちろん、『論語』や『大学』や『中庸』といった中国古典に示される、よき道徳観を否定する必要はない。ただそれは望ましい理想を語ったものとして、自らを高める指標にするだけならよいかもしれない。

しかしその理想を、現代の中国という国家と結びつけてはいけないということを私は言いたいのである(いや、日本に帰化した一日本人として、言わないわけにはいかない!)。

『論語』のなかでも日本人がよく知る「温故知新」。これなどは今の習近平政権にはまったく当てはまらない。ましてや「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」は「何をかいわんや」である。

「仁」「恕」は論語のキーワードであり、その語義はキリスト教の博愛精神にも通じるすばらしい徳であることはいうまでもないが、それが習近平政権にあるのかどうか。『大学』も「修身、斉家、治国、平天下」を説くものだが、どうだろうか。逆に日本の方々に聞いてみたいものである。

楊 海英 静岡大学教授

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よう・かいえい / Yang Haiying

モンゴル出身。日本名は大野旭。『墓標なき草原─内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』で司馬遼太郎賞を受賞。

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