モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口 儒教国家としての認識は改める必要がある

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ガラスを溶かす窯を設置すると、日本の技術者は「窯が馴染むまで数日かかる」と説明したが、レンガが届けば翌日にはガラスができると考えていた中国側は「早くしろ」と急き立てた。技術の話や理屈が通じる気配はない。大学を出たばかりの私から見ても、中国側はことあるごとに無理難題をふっかけていた。

観光のあいだに技術資料を盗み出す

中国側が日本企業の技術を盗もうとしたこともある。私が日曜日に宿泊先で休んでいると、数人の警官に囲まれた。自分たちは青海省の国家安全部の者だと名乗り、次のように語りだした。

「日本人が技術を提供しないから、われわれは彼らから奪うことにした。そこで、君に協力してほしいことがある。次の休日に彼らを青海湖へ案内してくれ。泊まりがけで観光しているうちに、われわれは彼らの金庫から技術資料を盗み出して写しを取る」

次の休日、日本企業の社員と私たちは美しい青海湖へ出かけ、彼らの計画は実行された。モンゴル人とチベット人が遊牧する青海湖へ向かうとき、日本のS部長が大きなリュックを背負っているので「こんな大荷物、どうしたんですか?」と尋ねると、大切な資料はみんな持ってきたと話していた。

中国側が盗み出せたのは、あまり重要でない技術資料だけだった。私は悪事の片棒を担ぐことにならなくてよかったと安堵した。

ガラス工場での経験は、日本と中国の関係について深く考える機会を与えてくれた。中国人の対日意識の問題とともに、日本人の対中意識にも問題があると気づかされたのだ。

私は1989年春に来日すると、中国を訪れた日本人から「非常に嫌な思いを味わった」という話をたびたび聞かされた。おそらくガラスメーカーの社長と似たような経験があるのだろう。

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