誰がなぜ?北陸新幹線「米原ルート」再燃の震源地 小浜・京都ルート2025年度末着工は課題山積

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
北陸新幹線
敦賀―新大阪間の整備が課題となっている北陸新幹線(編集部撮影)
この記事の画像を見る(7枚)

北陸新幹線の金沢―敦賀間が3月に開業し、東京―敦賀間が約3時間で結ばれるようになった。残る敦賀―新大阪間については与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム(PT)に設けられた北陸新幹線敦賀・大阪間整備検討委員会が2016年12月に福井県小浜市付近を経由して京都、大阪に至る小浜・京都ルートを決定した。2025年度の着工が目標だ。

すでに計画が動き出しているにもかかわらず、「米原ルートで敦賀と新大阪を結ぶべきだ」という声が日増しに高まっている。

米原ルートとは、敦賀からJR北陸本線沿いに南下し東海道新幹線の米原に接続するルートだが、ルートをめぐる議論の過程で退けられた過去のルートだ。なぜ今になって米原ルートを待望する声が出るのか。その理由を掘り下げてみた。

敦賀から先「3つの当初案」

敦賀―新大阪間のルートについては当初3案が考えられていた。小浜から京都府亀岡市を経由して一直線に大阪を目指す若狭ルート、琵琶湖西岸経由で京都市に至る湖西ルート、そして米原ルートである。

若狭ルートは1973年に策定された整備計画に明記された“公式ルート”。福井県は小浜市、若狭町など嶺南エリアの観光・産業振興の起爆剤になると考えて若狭ルートを推していた。だが、3案中で建設距離が最も長く、費用も割高となる。京都市などの大都市を通らないため経済効果も小さく、支持は得られなかった。

関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事