「高校ずっと1位」でも"東大不合格"彼が抱く未練 横浜国立大学に合格、一度は進学したものの…

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「合併する前には村だった地域なので、勉強ができる人に対する偏見が少しあったような気がします。授業は一応真面目に受けていましたが、もともと勉強よりは遊ぶほうが好きだったので、休み時間は友達と外でしっかり遊んでいました」

テストで取れた点数を人と勝負するのは好きだったものの、「ガリ勉」だと思われることは避けたかった、と振り返る山﨑さん。

地元の公立小学校時代の成績では、多くの科目で1〜2位を取り、兄が通っていたという理由で、中高一貫校である磐田東中学校を受験して合格しました。

中学に入ってからの山﨑さんは、多くの科目で学年1〜2位の順位を取り続けます。当時の夢は、漠然と有名になりたいと考えていて、「テレビに出られたら有名人っぽくてかっこいいな」と思っていたそうです。

あらゆることに興味を持ち、スポーツも勉強も全力で取り組むタイプで、中学時代は囲碁部に所属し、高校に進学してからはフットサル部に入って精力的に活動。体育大会や文化祭などの学校行事にも積極的に参加しました。

「通っていた高校では、サッカーのジュビロ磐田のユースに所属している選手や、野球でプロに行く選手もいました。学校行事では、その人たちと直接戦える機会もあってうれしかったですね。こんな機会はそうそうないと思うので、今では貴重な思い出です」

先生からの一言で東大受験を決意

高校に進学してからも優等生ぶりは変わらず、総合点でずっと学年1位を取り続けました。

「トップである自覚を持って行動すべきだと思っていました」と語る彼が、東大を目指し始めたのは、高校1年生のときの担任の先生からの一言でした。

「中3のとき、3個上の先輩が母校で初めて東大に合格したんです。その先輩の担任だった先生が、高1のときに私のクラスの担任になりました。最初の模試の成績がよかったので、先生から『(先輩のように)東大を目指せるぞ!』と言われて、やる気を出しました」

こうしてスイッチが入った山﨑さんは3年間、1位の座をほかの人には明け渡さずにトップを守り続けます。

当時の山﨑さんの生活は、朝6時に起きて通学し、授業が終わったあとは18時まで部活、もしくは友達と話しながら勉強。19時に帰宅してご飯・お風呂を済ませたあと、20時から23時まで勉強をして就寝するサイクルだったそうです。

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