「鉄子」がJRを辞めてタレントになったワケ 駅員だった私の背中を何が押したのか

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私は、電車や飛行機といった大きな乗り物が大好きだった。近所の幼なじみが全員男の子だった事もあり、いつもプラレールで遊んでいた。祖父からもらったお小遣いを握り締め、一人で電車に乗り込んだ時、探検隊にでもなった気分だった。どこまでも続く線路に胸を躍らせ、運転台にかぶりついていた。

そんな私が専門学校を卒業し、最初に働いた職場は東海道新幹線。車内販売員になったのだ。

40種類程の商品を積み込み、重さが50キログラムもあるワゴンを扱い、新大阪—東京間という日本の大動脈を行き来する。大変な仕事ではあったが、毎日がドラマのようでとても楽しかった。

そんなある日、新幹線車内で共に働く車掌が乗客に切符や、乗り換えの案内を懸命に行っている姿にふと、目を奪われた。その手元には、ボロボロになった時刻表と分厚いメモ帳。乗客の質問に答えるため、日々相当な勉強をしているのだという事がひと目でわかった。

窓口で覚えることが盛りだくさん

それをきっかけに、販売員と同じ列車のクルーである車掌に憧れるようになったのだ。その思いは日に日に膨らんでいったが、車内販売員から車掌になる道はない。車内販売員はJR東海の子会社の所属であるが、車掌はJR東海の所属。そもそも会社が違うのだ。

途方に暮れていたとき、友人から「今、JR西日本の駅係員の募集が出ているから一緒に受けよう」と誘われた。そして、無事合格し憧れだった鉄道の運行にかかわる仕事に就くことができた。

最初に配属されたのは、大阪近郊の快速が止まる中規模駅。主にみどりの窓口での業務を担当した。

それまではどちらかというと、鉄道に乗って楽しむだけだった私は、みどりの窓口で駅員がテンポ良く端末を操作し、あっという間に切符が出てくるのを当たり前のように思っていた。

しかし、実際は何の知識もないまま端末を操作する事はできない。操作自体が難しいのではない。切符を発券できても、どういう切符かお客様に説明できるだけの知識がないと意味がないからだ。

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