フリーアナ「"体臭"騒動」で見えた怖すぎる真実 他人事ではなく、明日はわが身かもしれない

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これまでネット上で炎上したことによって自死を選ぶという悲しいケースもありましたが、怖いのは「冷静かつ論理的に発言しただけ」と思っている人も、加害者とまでは言えないものの、“ネガティブな影響を与えた1人”になってしまうこと。

ネット炎上が「いじめと似ている」と言われるのは、“1人対多数”の構図になり、多数の中に「攻撃している」という自覚の薄い人が多いから。1人に対する人数の多さという点では、いじめよりはるかに怖い構図であり、たとえば住む場所や働く場所を変えても解決せず、「自分には居場所がない」と絶望してもおかしくありません。

もちろん個人の発言は自由であり、尊重されるべきでしょう。ただアップする前に、「自分は本人を攻撃するグループに加わっていいのか」「これは本当に書き込まなければいけないことなのか」と考え、「不特定多数の正論が集まって1人に向けられる世の中は怖いのではないか」と心に問いかけてもいい気がします。

「発言と誹謗中傷の是非」が混在

そしてもう1つ、冷静かつ論理的に批判する人の怖いところは、問題が混在しているのに、1つにまとめて結論づけようとすること。

川口さんの件は当初「発言はよくなかった」というニュアンスの批判が多く、それは自然なことでしょう。しかし、批判がエスカレートし、誹謗中傷が増えたあとも、同じ「発言がよくなかった」という観点からの議論が繰り返されています。

そもそも川口さんの発言の是非と、彼女への誹謗中傷の是非は、別の議論のはず。ところがネット上のコメントには、「発言がよくなかったから誹謗中傷もやむなし」という別の議論を混在させて自業自得と結論付けるようなニュアンスが目立ちます。だから批判の声はヒートアップしやすい一方でなかなか沈静化せず、本人や関係者のダメージが深刻化していくのでしょう。

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