フリーアナ「"体臭"騒動」で見えた怖すぎる真実 他人事ではなく、明日はわが身かもしれない
ここでは川口さんの投稿や彼女への誹謗中傷を断罪するのではなく、その周辺で起きている私たちにとっての怖い現実を掘り下げていきます。
「冷静かつ論理的な批判」の集積
川口さんの発言については、賛否ではなく、ほぼ“否”一色であることからも、問題があったのは間違いないでしょう。
なかでも「体臭に男女の区別はおかしい」「体質や仕事上でやむを得ない人もいる」「臭いの感覚には個人差があるため押し付けるのはよくない」「人に言えないほど体臭で悩んでいる人もいる」あたりの指摘は正論そのもの。
特に男性はハラスメントの加害者として扱われがちなだけに、「ここでも男だけを責めるのか」と怒りたくなる気持ちは理解できます。
川口さんは「男性顧客向けの美容事業をますます頑張りたい」というコメントに至る前提や、「ご事情あるなら本当にごめんなさいなんだけど」という多少の配慮も書いていましたが、これらはほぼ意味を成しませんでした。
「これくらいの内容なら、これくらいの前提や配慮を書いておけば大丈夫だろう」という判断を誤ってしまった感があります。
ただそれでも川口さんや関係者に対する誹謗中傷が正当化されるというわけではないでしょう。Xやネット記事のコメント欄を見ると、目を覆いたくなるような投稿もあり、恐ろしいほどの悪意を感じてしまいます。
しかし、川口さんや関係者に直接送られる誹謗中傷の数や内容はわからないものの、Xやネット記事のコメント欄への誹謗中傷はそれほど多くないように見えます。
一方で投稿の多くを占めているのは、「〇〇〇はよくない」「〇〇〇ということでしょう」「〇〇〇はこうあるべき」などの“体臭論”。ひいては“男女差別論”や“SNSの投稿論”なども含めて、「議論を持ちかけたうえで批判する」という形で騒動が拡大・継続しています。
つまり今回の件で誹謗中傷する人は言語道断ですが、本当の問題は冷静かつ論理的に批判する人がその流れに加わり、騒動を拡大・継続させていること。
1人ひとりは「この程度の批判くらいなら相手を追い込むほどではないだろう」と思っていても、それが数十、数百と集まれば誹謗中傷に匹敵するほど大きなものになり、無自覚なまま本人にダメージを与えているのです。
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