日本も戦った蔣介石の再評価が進む台湾社会 人気の観光スポットでも見られる変化の形

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ここで再び台湾に目を転じると、1895年から1945年まで日本による統治を受けていた台湾社会にとって、第2次世界大戦は日本の一部として巻き込まれた戦争であった。ところが、1945年から新たな統治者となった中華民国の国民党政権にとって、第二次世界大戦は日本と戦った戦争である。

そのため、戦後台湾において展開された国民党視点の歴史教育は、日本統治を経験した多くの住民の実体験と乖離したものとなった。加えて、国民党政権は戦後台湾において、共産党を取り締まるとの大義名分の下、それ以外の反国民党的な言論や政治活動に対しても厳しい弾圧を加えた。

民進党は国民党による人権侵害に反発する市民運動のなかから80年代に生まれた政党である。同党が蔣介石に対する再評価を重要な課題とするのは、まさにこのような事情による。

台湾社会の声を反映した論点

また、同党が課題とするのは蔣介石に対する再評価だけでなく、国民党視点の歴史観の全体像にまで及ぶ。これは民進党が政争の具として故意に創り出した論点ではなく、社会の声を反映して設定した課題であると見たほうが実態に即しているだろう。

1950年代、1960年代の日本政治において「親台湾派」と言えば、一般に蔣介石政権を支持する人びとを指した。しかし、その蔣介石本人は、中華民国の指導者として共産党との間で中国統一のための内戦を戦い、台湾においても中国中心の歴史観を普及させた人物である。

その政権を支持することは、今の日本において「親台湾」という語から想起されるイメージとは大きくかけ離れているのではないだろうか。今日、中正紀念堂を訪れる観光客のなかには、巨大な蔣介石の銅像を目にし、蔣介石は台湾で非常に尊敬されているのだとの印象を受ける人もいると聞く。

もちろん、台湾社会には蔣介石の事績のなかから、尊敬すべき点を見出す人も少なからず存在するだろう。蔣介石が戦前の日本による台湾支配を否定したことや、戦後の台湾において一定の経済成長を実現したことも事実の一端だからである。

しかし、かつての抑圧的な政権が公共事業として建造した個人崇拝施設を、台湾社会の声を広く反映したものと見なすことには慎重であるべきだ。観光客として中正紀念堂の儀仗兵の威容を楽しみ、また民進党政権によるパフォーマンス変更の報道に接するとき、私たちは台湾社会が歴史認識をめぐり、何を課題とし、どのように解決しようとしているのかにも思いをめぐらせてみることが大切だろう。

家永 真幸 東京女子大学教授

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いえながまさき / Masaki Ienaga

1981年生まれ。東京女子大学教授。専門は現代台湾政治、中国政治外交史。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。主著に『国法の政治史――「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会)、『台湾研究入門』(若林正丈との共編著、東京大学出版会)、『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)、『台湾のアイデンティティ――「中国」との相克の戦後史』。『国宝の政治史』で樫山純三賞学術賞、発展途上国研究奨励賞を受賞。

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