日本も戦った蔣介石の再評価が進む台湾社会 人気の観光スポットでも見られる変化の形

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今日の台湾では、蔣介石や国民党による一党支配体制の復活を求める声はほぼ聞かれず、あったとしてもまず支持されることはない。しかし、国民党自体は立法院(国会)の第一党の座を占めるなど、いまだに一定の影響力を保持している。そのため、蔣介石に対する再評価は、民進党政権にとって繊細な扱いを要する問題であり続けている。

日本でも評価が難しい蔣介石

蔣介石に対する評価が微妙な政治争点となるのは、決して台湾内部においてだけではない。実は日本社会にとっても、蔣介石評価の問題は、また別の意味で複雑である。

日本社会にとっての蔣介石は、戦前からすでに、単純には評価できない隣国の指導者であった。ここでいったん中国大陸の歴史を振り返ってみたい。

蔣介石は孫文の没後、1920年代後半に国民党の軍事指導者として頭角を現した。孫文の生前の国民党は中国共産党に対して融和的な方針を採用していたが、蔣介石は次第に反共的な姿勢を強め、中華民国の指導者として共産党に対する抑圧を主導していく。

1930年代前半の満洲事変後の時期には、蔣介石は共産党の弾圧を優先する立場から、中国での影響力拡大を図る日本に対して妥協的な政策をとった。しかし、1930年代後半に日中が全面戦争に突入すると、蔣介石は日本の侵略に抗う指導者としてのイメージを強く帯びていき、とりわけアメリカのマスメディアにおいて好意的に取り上げられていく。

第2次世界大戦後、蔣介石率いる中華民国の国民党政権は、アメリカの東アジア政策の下で対日賠償請求の放棄を余儀なくされた。これに対し、日本社会ではかつての敵国の指導者であった蔣介石に恩義を感じる風潮も生まれた。

一方、日本国内には、国民党との内戦に勝利した共産党が1949年に建国した中華人民共和国に対して同情的な世論もあった。その立場からは、台湾に逃れて中華民国政府を名乗りながら共産党との対立を続けた蔣介石は不当な指導者と位置づけられ、台湾は共産党によって中華人民共和国に統合されるのが望ましいとされた。

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