──学習院大学在学中に1年間、卒業後も大学院生として5年間オックスフォード大学に留学されています。動機は何だったのですか。
父(故寬仁(ともひと)親王)はご自身がオックスフォードに留学されたことを誇りに思っておられ、子どもの頃から「おまえはオックスフォードに行くんだ、オックスフォードに行くんだ」と呪文のように聞かされ続けてきました。
最初の留学は、学習院大学とオックスフォード大学のマートンカレッジとの協定留学制度を使いました。でも1年は短く、生活のリズムができ、エッセー(小論文)の書き方や、友人付き合いにようやく慣れてきたところで終わってしまう。聴講生なので試験も経験せず、「留学してきました」と言うには物足りないと思いました。
──1度目の留学ではスコットランド史を研究され、大学院では日本美術に専攻を変えられました。
英国では、歴史、経済、文学……と日本に関する質問は何でも私に回ってきました。日本では「専門外なのでわかりません」で済みますが「なぜ自国のことなのにわからないのか」と言われてしまって。
日本美術への視点は国によって異なる
1度目の留学中に(大学院では指導教授となる)ジェシカ・ローソン先生のチュートリアル(個別指導)を受けたことも大きいです。日本美術に対する視点や感覚が海外と日本ではまったく違うと実感しました。例えば「浮世絵はどのように見るものなのか」という質問は、それまでの私が考えてみたことのない問いです。
海外では絵画や版画は壁に飾る前提で作られますし、所有者の知識や関心、権威などを示すものです。一方、日本では掛け軸や浮世絵、絵巻物は、楽しむために開いたり季節やお客様によって掛け替えたりするもの。
情報化社会の現代でさえこんなに感覚が違うのならば、昔はもっと違うはず。外国人の日本美術への視点・理解が時代ごとにどう変化したのかを、大英博物館の日本美術コレクションを通して研究することに決めました。
──寬仁さまから2度目の留学を認めてもらう条件の1つが留学記の執筆だったそうですね。
はい。その時点では父も私も博士号取得までは予想していなかったのですが。成年皇族になり公務を担う立場でありながら、長い間海外にいることが許されるのかという葛藤はありました。ただ研究テーマが面白く、何とか形にしたいという思いが上回りました。
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