一方、この春東大に入ったある学生は「自分の親が東大についてあまり理解していないのが、とても助かっている」と語ります。彼は3人兄弟の末っ子。上の2人は東大ではない大学に通っています。ともすると、周囲からは「●●君が、兄弟の中でいちばん出来がいいのね」と言われかねない環境なわけですが、それは彼にとって本意ではありません。
ところが彼の両親は、大学受験そのものに無頓着。子どもたち全員に向かって「みんな、大学に入れて、すごいねー!」と、手放しで称賛するのだとか。そのおかげで、彼は兄弟の中で気詰まりな思いをすることがない、というわけです。
もちろんそれは兄2人にとっても、とても気の休まるリアクションでしょう(逆のケース、つまり「両親がとても学歴意識が高く子ども同士を比較するので、子どもたちが次第に追い詰められる」という話もよく聞きます)。
コンプレックスは周囲の反応があって生まれるもの
これらのエピソードを耳にすると、結局、学歴にしろ、容姿にしろ、コンプレックスとは「鏡」のようなモノなのではないかと思い至ります。
つまり、自分が引け目に感じていることを、同じく気にする人が身の回りにいるかどうか。そしてその人は自分にとって大事な存在かどうか。この2点が問題です。
逆に言うと、多くのコンプレックスはどれだけ自分が「ここが劣っている」と思い込んでいても、周囲の人がそのことに興味がなかったら成立しません。特に、家族や近しい存在のパートナーが「へ? なんのこと?」「そんなことは気にしたことがないけれど、あなたはあなたのままですばらしいよ」と言ってくれることで、あっさりと解消するのです(そして実は、コンプレックスの裏返しである、優越感も同様です)。
具体的には、学歴を気にしない上司に仕事を認められる、容姿のコンプレックスを笑い飛ばしてくれる恋人ができる、年収や生活環境は全く違うけれどなぜか気の合う友達ができるなどなど……。
コンプレックスについては、「いつまでもそんなものにとらわれてないで、努力して克服すべき」という声もあれば、「それをバネにして大きな事を成し遂げればいい」という意見もあります。
が、それ以外に「そんなものは大したことではないと、素直に納得させてくれる存在に出会う」「そして、そういう人に巡り会うまで、さまざまな環境に身を置き、いろいろな人に出会う」という解決策もあるのです。
心から気が合うし価値観も一緒だけれど、自分が抱えている劣等感については「なにそれ?」と首をかしげてくれるような、温かい人間関係を手に入れたいものです。
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